目次
Spain&Italy 放浪の旅③ Italy編 前編 新たな出会い
このスペイン&イタリア旅行記は以下の4つの記事に分かれています。
この記事はイタリア編の前編となります。
① スペイン編 前編
② スペイン編 後編
③ イタリア編 前編 (当記事)
④ イタリア編 後編
では、開始します!
イタリア旅のルート
イタリア旅のルートは以下のような感じです。
ローマ(Rome)→ウルビノ(Urbino)→レッジョ・エミリア(Reggio Emilia)→ボローニャ(Bologna)→ヴェニス(Venice)→ミラノ(Milan)→トリノ(Turin)→フィレンツェ(Florence)→ローマ(Rome)
ローマからイタリア中部~北部を半時計回りにグルっと回り、ローマに帰ってきた感じです。これらの都市の周辺にある街も色々と巡っています。
イタリアにおいても沢山の新たな貴重な出会いがありました。
ローマ
スペインでの旅を終えた私は、マドリッドから飛行機でローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港(フィウミチーノ空港)に到着しました。
そして、空港に接続している駅からホテルの最寄り駅に移動しチェックインしました。
フィウミチーノ空港に接続している駅と、一泊したローマのホテルの写真
イタリアの最初の印象はスペインと雰囲気がとても似ているなというものでした。人々の話し方、表情、雰囲気などが似ており、イタリア語もスペイン語もほぼ分からない私は違う国に来たという印象すら殆ど持ちませんでした。
スペインとイタリアは地理的には結構離れているのに不思議でした。この事をメッセンジャーでイタリアの友人に聞いたら、「その通り、実は私たちの国は言語的にも文化的にもスペインにとても似ている。貴方はCatfishedされた(狐につままれた)ねHahaha」と言ってました。
ローマに一泊したのち、あるイタリア人が待つウルビノへ向かいました。
ローマからウルビノへの電車&バスの旅が始まりました。一番安いチケットを購入したのでトータル運賃は僅か28ユーロ。座れない事を覚悟していましたが、運良く座れました。👏🏻
まず、ローマからペーザロまでローカル列車を乗り換えながら6時間かけて移動し、ペーザロからはバスになります。#イタリア pic.twitter.com/7DltdA8kop
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 1, 2022
28ユーロの格安チケットをネットで購入し、電車を約6時間かけて乗り継ぎ、ペーザロという小さな町からは乗客がギッシリに詰まった満員のバスで約1時間半かけ友人の待つウルビノへ・・・中々ハードな移動でした。
ウルビノ *新たな出会い
そうしてウルビノに無事到着しました。
ウルビノを訪れた理由は、私のYouTube発信をきっかけに繋がったオンライン上のイタリア人の友達と出会う約束をしていたためです。
約8時間かけてローマからローカル電車とバスを乗り継ぎウルビノに無事到着しました。この移動自体も中々面白い体験でした。この街も2日前に訪れたトレドと同じく旧市街地が世界遺産に登録されています。
部屋はとても広くて驚きました。キッチンまで付いています。一人で使うには勿体ないですね。😅 pic.twitter.com/VP2hKUY5z1
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 1, 2022
そして、民宿にチェックインしました。写真の通り広々としており豪華な部屋でした。冷蔵庫やキッチンも完備されていました。
オーナーは英語が流暢な中年女性の方で、近くのレストランで使える朝食のクーポンをくれたり、困っている事は無いかと時々訪ねて来たりとても親切な方でした。
眼を惹く壁紙。広々とした部屋。この部屋に約1週間滞在しました。
そして翌朝、私のYouTube発信を通じて知り合い、長らくオンライン上の友人であったイタリア人のイレーネと出会いました。
新たな出会い:イレーネ
彼女の名前はイレーネ。私とほぼ同い年の30代後半。
ウルビノで出会ったイレーネ。SNS等に顔写真をあまり載せたくないとの事で顔にボカシ入れました。
彼女は芸術家で、旅人であり、現在はイタリアのある山岳地帯の山荘ホテルの従業員としても働いています。また、ジェノバの学校に定期的に通って心理学について学んでいる人でもあります。芸術に関しては、絵を書いたり、テキスタイルを使った創作活動などをしています。
旅の経験に関しては私とは比べものにならないくらい豊富。驚いたのは、カウチサーフィンというサービスを使ってインドを半年間旅していた事。
カウチサーフィンとは現地の人が家の部屋を旅人に無料で提供するサービスです。手軽に旅人と現地の人々が同じ屋根の下で生活し交流する事が可能になるサービス。
イレーネはカウチサーフィンを使ってインドの地元の人々の部屋の無料提供を受けながら旅をしていたとの事。様々な危険もあるでしょうし、危機対処能力的にもコミュニケーション能力的にも相当な力が無いと真似する事はなかなか出来ないでしょう。
また、このウルビノに来る以前(2022年の春ごろまで)は住所を持たずに車でヨーロッパを放浪していました。夜は車中泊をしていたそうです。生粋の旅人。
また、イレーネはユニークな体験もしており、チベット仏教に入門したり、※アヤワスカのセレモニーに合計10回以上参加していたり、そして一番驚いたのは・・・
※アヤワスカのセレモニーは私も参加しました。詳しくはスペイン編の記事をご覧ください。
森の中で裸で飲まず食わずで3日間過ごすというネイティブアメリカンの霊的修行を行った経験がある事です。
修行中は森の中に割り当てられた半径数メートルほどの範囲から出る事が禁止されていたそうです。雨をしのぐためのビニールシートのみが渡されたそうです。
危険な野生動物が来るかもしれないし、虫に刺されるだろうし、夜は眠れないだろうし、水すら飲めない・・・相当ハードな修行だと思いますが、彼女曰く、楽勝だったそうです。特筆すべき辛いことも何もなかったと言っていました。それが終わった後は、心が浄化されたようにとても気分が良くなったそうです。精神的に相当強い人ですね。
(ちなみに、彼女のこの話を聞いたことが、10日間の断食実験 [自分の場合は水は好きなだけ飲み、少量の酵素ドリンクも飲んでいた] を行うきっかけになりました。)
あと、イレーネの心の強さを示すエピソードがもう一つ。彼女が車を運転している時に、ある車が彼女の車の後ろにピッタリついて「もっと速度を出せ」と煽って来たとき・・・
「こういう時にはこちらが急ブレーキを踏んでわざと相手にぶつけさせてやるのよ。その場合、法的に決められた車間距離を開けていない相手が悪くなるからね」と言っていた事です。(笑)
「そんな危険行為はやめた方がいいよ」と私が言うと・・・
「いいや、そういうドライバーには教訓が必要なのよ」と言っていました。幸いその時は彼女はそのような事はしませんでしたが、そのような心の強さがあるから、彼女はインドで半年間もカウチサーフィンの無料宿を渡り歩いたりできるのだと思います。私も見習うべきかもしれません。
ちなみに、イレーネの両親は大学教授で親友たちもいわゆる上流階級の人々であり、恵まれた生育環境で育ったそうですが、彼女にしてみると、親に対して不愉快な思いや、複雑な思いが色々とあるようです。
イレーネからは他にも色々な興味深い話を聞きましたが、長くなるので、詳しくは今年中に出版予定の著書で書こうと思います。
そして、イレーネの車に乗ってグルダーラという街に向かいました。
グルダーラ(グラダーラ)
グルダーラ(グラダーラ)という小さな古い街に到着しました。
人口は約4900人。
城壁で囲まれたグルダーラの旧市街地
グルダーラの旧市街地は13世紀~15世紀にこの地を支配したマラテスタ家という領主が造りました。
グルダーラ旧市街地
朝食にサンドイッチ。料理の名前は忘れました・・。
ナンのような生地に茄などの野菜が挟まれています。イレーネはベジタリアンなので、それに合わせて私も具は野菜を選択しました。
シンプルですが、とても美味しかったのを覚えています。ナスの食感や味付けが生地ととてもマッチしていて肉が入っていなくても美味しかったです。
そして、二人でアドリア海の海岸に来て、座って話をしていました。この時の場面を深く覚えています。
私はこの時に、海岸で座りながらずっと疑問に感じていたサイケデリクスに関する事についてイレーネに聞いたのです。イレーネは10回以上のアヤワスカの体験があるから、この疑問について理解してくれるかもしれないと思いました。
私はイレーネに聞いた。「溺れて死にかける、空腹で死にかける、睡眠不足で死にかける・・などなど、人は死に近づく体験をするときサイケデリック体験をする。そして、死に近づけば近づくほど強烈なサイケデリック体験が得られる。つまり、ひょっとすると、[完全な向こう側]に行く、つまり死ぬ事が究極のサイケデリック体験のゴールなのではないだろうか?
私たちが何度サイケデリック物質を使ってサイケデリック体験をしても効果が切れれば私達はこの現実に戻ってしまう。でも、死は本当に向こう側に行ったまま帰ってこない。死によって私達は不可逆に完全にあっちの世界に行けてしまう。これはサイケデリクスの究極のゴールなのではないか?
もし、そうだとすると、いずれ私達は死ぬわけだから、死ぬ事によって究極のサイケデリック体験をするなら、私達がアヤワスカや、精神的な修行を行うことは実は必要ないのではないだろうか?全ての人が結局は死ぬので、いずれ究極の形でその体験をするのだから。」
私がそう言うとイレーネは笑いながら言った「そんなことを言うと人々は死ぬ事に魅力を感じるようになってしまい、早く死のうとする人が増えるわ」
私は言った「もちろんこれは単なる仮説だから、何も保証できないから分からない事だ。」
今振り返って思うのですが、もし、死ぬ事によって究極のサイケデリック体験が得られるのだとしても、急いで死ぬ必要は全くないと思います。何故ならば、私たちはいずれ死ぬわけですので、ゴールが約束されているわけですから、急いでそれを得る必要はありません。
そして、何故か2人で夜の墓場へ・・・。
イレーネはずっと夜の墓場を見てみたかったが、独りだと怖くて行けなかったそうです。だから一緒に行ってみました。
再びウルビノ
グルダーラを散策した後、ウルビノに帰ってきました。
ウルビノは山上に作られた砦のような街で、街は勾配が激しいです。ウルビノはローマ帝国の目立たない都市でしたが、ゴート王国との戦争の舞台となった後、東ローマ帝国の一部となり、教皇区となり、貴族が実権を握った後、15世紀に芸術の街として国際的に有名な都市となり、ヨーロッパ各地から学者や芸術家が集まってきました。
画家のラファエロの出身地でもあります。ドゥカーレ宮という宮殿に入ってみました。
ドゥカーレ宮に入ってみました。巨大な施設です。地下は迷宮のようになっており、地上階は博物館で沢山のイコンや石板や彫像が展示されています。塔に登り街の景色を眺める事もできます。
ちなみに友達は古代の国際語であるギリシャ語やラテン語が読めるので、意味を英語で教えてくれます。 pic.twitter.com/dXdbfZGJLq
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 3, 2022
ドゥカーレ宮の展望所に登ってみました。
ドゥカーレ宮の展望所からの景色
ウルビノ内を散策しました。
そして、翌日はイレーネの車でサンマリノ共和国に向かいました。
サンマリノ共和国
イレーネとサンマリノ共和国を訪れました。ここは「世界最古の共和国」とも呼ばれています。
マリーノというキリスト教徒の石工が紀元300年頃にローマ皇帝からの迫害を逃れてこの地域に作った砦がこの街のベースになっているとの事。なので国名はマリーノの頭に「サン(聖なるという意味)」を付けサンマリノとなっています。
サンマリノ共和国はヴァチカン市国と同じく、イタリア内の別の国家として扱われている場所です。
非現実的な程美しくて指輪物語やスカイリムなどのファンタジーの世界にいるような(例えが陳腐かもしれません・・笑)気すらしました。
特に霧がかかった景色と夕焼けの美しさに息を呑みました。
この夕焼けは現在の私のTwitterのアイコンにもなっています。
そして、私たちはウルビノに帰りギリシャ料理を食べてみました。料理の名前はいつもの如く忘れました・・(笑)
ギリシャ料理のレストランは初めて訪れました。大量のほうれん草がサンドされている料理が特に美味しかったです。
昨日、イタリア人の友達と食べたギリシャ料理。料理の名前は忘れたが、左はサラダ。真ん中は肉や野菜を葉でロールして熱した小型ロールキャベツみたいなもの。右はチーズと大量のほうれん草がパリパリとした食感のパンにサンドされたもの。友人とシェアしながら食べた。美味しかった!😊 pic.twitter.com/JXnBq6BadA
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 4, 2022
翌日は再びウルビノを散策していました。
更に再びウルビノ
再びウルビノを散策しました。ウルビノは歴史的な建物が沢山あり、見所がとても多いですね。レンガ造りの市街地の風景が美しくて、ただ路地を散策しているだけでも感動してしまいます。
ラファエロの生家に入ってみました。
ウルビーノ(ウルビノ)はルネッサンス期の有名画家であるラファエロ生誕の地。ラファエロの生家に入ってみました。
自分が宿泊しているB&Bから徒歩3分とかからない。すぐ近くにラファエロが約500年前に住んでたと思うと、本当に不思議な気持ちになります。 pic.twitter.com/7H7FAa0TqF
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 5, 2022
そして、ウルビーノの聖堂「サン・ジョバンニ礼拝堂」に入ってみました。
ウルビーノ(日本ではウルビノではなくウルビーノと表記される方が多いらしい)のサン・ジョバンニ礼拝堂とサン・ジュゼッペ礼拝堂に入ってみました。🙏🏻 pic.twitter.com/nJj33POW5x
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 5, 2022
ウルビノでは土曜日にはマーケットが開催されています。良く分からないけど、から揚げっぽいものを屋台で注文して食べました。エビとイカのから揚げでした。
今日のウルビーノの通りでは様々な種類の屋台が沢山出店されています。土曜日限定のマーケットイベントだそうです。
エビとイカの唐揚げの串刺しを購入しました。😊 pic.twitter.com/1zgfykjFEo
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 5, 2022
ウルビノを更に散策していました。建物のレンガの色やデザインが統一されており、街全体がアート作品のようでした。
そして、翌日はFano(ファーノ)という街とその周辺を散策しました。
ファーノとその周辺
この日の朝は山でイレーネと木の実を採取していました。ジャムを作る為に使うそうです。
ジャムに加工する為の赤い実(やはり名前は忘れました・・・)
この謎の赤い実を齧ってみると、濃い風味のあるトマトのような味がしました。塩気もあり、ナポリタンソースの味にも似ており、そのままパスタソースに使えそうでした。
そして、ファーノという沿岸の街を訪れました。
昨日はイタリア人の友人とFanoという地中海沿岸の街を訪れた。この友人といつも沢山話をしている。沢山の学びがある。
こんなに実りが多い出会いは人生初と感じている。次の私のビッグプロジェクトにおいて出版する本にこの出会いについて詳しく書きたい。📝 pic.twitter.com/kNmXTgiHd3
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 7, 2022
翌日はイレーネと過ごす最後の日です。
ウルビノ周辺の街や自然 イレーネとの別れ
この日はウルビノ周辺の街を巡ったり山をハイキングしていました。
ウルビノ周辺の山をハイキングしたり、街を巡ったりしていました。
この日、イレーネのもとを去りました。プレゼントを交換し、ハグをして別れました。いつもの通り、別れは悲しいがとても美しい瞬間であり、今もこの瞬間が心に深く残っています。
この出会いはとても貴重なものでした。お互い旅が好きで、アヤワスカの体験があり、サイケデリクスについての知識があり、国籍も人種も文化的背景も違うのに共通点が多い二人でした。年齢もほぼ同じ。旅の経験が豊富なイレーネからは学ぶことも沢山ありました。
ウルビノで別れた後も、WhatsAppメッセンジャーを通じて今も彼女とのやり取りは続いています。旅が好きな私たちはいずれ再開する機会があるでしょう。
そして、私は次の目的地レッジョ・エミリアという街に向かいました。この街においても私のYouTube発信を通じて繋がったオンライン上の友人と出会う約束がありました。
ウルビーノを後にしてレッジョ・エミリアに向かっています。
その街では私のYouTubeチャンネルを通じて仲良くなった別のイタリア人と出会う約束があります。ウルビーノで友人との別れがあったばかりですが、また新たな出会いが。🤣
ベストを尽くしてお互いにとって実りのある出会いにしたい。🙏🏻 pic.twitter.com/NfYMpspjnX
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 9, 2022
後編へ
長くなってきたので、今回の記事はここで一旦区切ります。残りのイタリア旅のレポート記事は後編に書きます。
後半においては、更なる新たな出会いが沢山あります。中々濃い内容になりそうです。恐らく今月中には投稿出来ると思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました!
イタリア編の後編書き終わりました→イタリア編 後編へ