目次
毒親問題の背景にあるものは・・
「毒親」という言葉が日本では現在流行っています。
毒親とは要するに毒を持つ親=悪い親の事。
例えば子供を虐待するような親の事です。ネット上には自分の親が毒親なので非常に辛い思いをしていると言っている人が大勢います。
それらは子供側の一方的な主張であるので、子供側にも問題がある場合があるかもしれません。
しかし、親が子供を虐待の上に殺してしまう事件が頻発している事からも、毒親は間違いなく存在し、しかも決して少なくない事が伺えます。
「毒親問題」は最近は書籍でも良く取り上げられています。私は最近「毒親と絶縁する」という本を読みました。
そこにおいては陰湿で執拗な「教育虐待」を行う毒親の事が取り上げられていました。
教育虐待とは要するに親が子供に暴力的に勉強を強制する事です。それはしばしば親の独善的な偏った教育方針に基づいて行われるようです。例えば「○○大学」の入学試験に合格しろと言う風に、特定の大学に入るように強要したりするようです。
その様な事が日本の多くの家庭で行われているようです。(ちなみに、名古屋では4年前に父親が命じた通りに勉強しないからという理由で12歳の息子を刺し殺す事件が起きています。)
何故そのような事を子供に強要するかと言うとそれは親のコンプレックスやエゴが関係しているようです。
私の親の場合
私はそのようなタイプの教育虐待を受けた事はありません。私はいじめられて登校拒否になったので実質的には小学校しか卒業していません。しかし、親は上記のような教育虐待を行う親と思想は同じです。
私が登校拒否をするようになった途端、親は私に暴力を振るうようになりました。そして食事の席からは私を排除しました。それでも私は登校を拒否していると、親は私をあからさまに無視してネグレクトするようになりました。
そして、父とも母とも会話をすることが無くなりました。顔を合わせる事も無くなりました。そして、引きこもってからはもう私の存在自体を亡きものだと親は捉えるようになったようです。2人の兄は大卒ですが、その二人とは全然扱いが違います。
ちなみに兄の結婚式に招待されて行った時は、家族の写真を紹介する場面では私が写っている写真だけありませんでした。笑
そんな事するのならばそもそも結婚式に呼ぶなよと思いますが・・・そういう事をする事が彼らにはある意味痛快だったのかもしれません。もう私は家族の中には存在していないのです。
引きこもりとなった私は家族の中で存在しないものと化しました
要するに私の親も学歴至上主義なので良い学歴を得ようとしない私は価値が無いと判断し暴力を振るい、最終的には存在自体無きものとしたという事です。つまり私の親も教育虐待を行う親たちと同じ思想でした。
でも、私の場合、親にいまさら過去の事で文句を言おうなどという気は全くありません。親が過去の事を謝ったとしても、逆に開き直ったとしても、私の人生は1ミリも変化する事は無いでしょう。
毒親問題の解決の為に重要な事は毒親のあらゆる影響から逃れて、ただ自分の人生を生き続ける事だと思います。
毒親から解放されるために
親が毒親であるならば、親から独立して親から離れて生きれば良いのです。それに必要な事は経済的自立。それが実現できればほぼ解決です。
もちろん、子供が独立した後も子供に執着し攻撃の手を緩めない悪魔のような毒親もいるでしょうが、多くの場合は独立して親から離れて生きる事で毒親からは解放されると思います。
私の実体験においても、経済的自立し親から離れる事で多くの苦しみから解放されました。私が読んだ先に紹介した本でも、親からの経済的自立が毒親からの解放に決定的に重要な要素となっていました。
結局親に経済的に依存していると、そこに依存や主従関係が生まれてしまいます。幾ら親が悪い親で毒親であっても、経済的に依存している限り親の影響下からは逃れられなくなります。
なので、経済的自立がカギです。今の時代はそれを実現する方法は無数にあります。単に従業員として働くだけではなく、インターネットを活用して稼ぐ事も可能です。経済的自立にはそれなりの努力や知恵は必要になりますが、諦める事はありません。自力で経済的自立の達成が無理ならば親と世帯を分けて社会保障を受けるという手もあります。
何故教育虐待が行われるのか?
そもそも一体何故に毒親は「教育虐待」を行うのでしょうか?それは単に日本が学歴社会だからだと思います。単純明快です。
そして親自身も日本社会で学歴に基づいて人々に差別されてきたか、あるいは人々を差別してきたのだと思います。だから当然、親たちは自分の子供にもその世界観に基づいて接する事になります。だから教育虐待が起こります。
この社会には学歴に基づいた差別があり、人々はその差別構造を肯定し、その構造を保守しながら差別される側ではなくて差別する側になりたいと努力しています。なので教育虐待は無くなりません。この社会そのものに「教育虐待」の原因があるわけです。
毒親の「教育虐待」という毒は毒親を取り巻く環境である日本社会に根本原因があります。
そこで私がこの前投稿したYouTube動画でも言いましたが、私は新たな言葉を作りました。
「毒社会」です。(私以外誰も使わないので覚える価値はありません。。)
では、その毒社会について書いて行きます。
社会に対する違和感
この社会にある毒は上記の教育虐待を生み出す学歴信仰だけではないと思っています。
私はこの日本社会に対して様々な嫌悪感や違和感を抱いています。
この社会について感じるそれらの気持ち悪さを一体どうやって言葉にしようか悩みます。その違和感を他の人々はあまり感じていないようです。
一体どこから説明すれば良いのかわかりません。
ゼイリブ(They Live)という映画をご存知でしょうか?80年代後半のアメリカのSFアクション映画です。(私はこの作品自体はあまり好きではありませんが。。)
この作品ゼイリブでは不思議なサングラスが登場します。そのサングラスを付けるとこの世の真実が透視出来るようになるのです。
例えばこのサングラスを付けて広告を見ると「買え」という文字が見えます。政治家の演説を見ると「従え」という文字が見えます。真のメッセージが見えるわけです。そして人に変装した悪いエイリアン達もこのサングラスで透視できるようになります。
※最近日本では「普通の日本人」を名乗る普通でない人たちが”国籍透視メガネ”というものを持ってるようですが、それはまた別の話です。
このゼイリブという映画の世界観からは、この社会には裏と表や、本音と建て前があり、表の世界は巧妙に作られたウソの世界であるという事が指し示されています。
日本社会もおそらく90年代まではそのような構造があったように思います。
しかし、現在ではその構造が変わり、全てがほぼ一元化しているのです。しかも、その事を人々は気付かないふりをしているようです。もしくはそれを本当に気付いていないのです。
一体どういう事なのか説明します。
インターネットで可視化された日本人の真の姿
現在はインターネットで人々の欲望が可視化されています。でも、人々はそれに気付かないふりをしているのです。あるいは本当に気付いていないのです。裸の王様のように。
人々がどんな欲望を持っているのか?どういう行動をするのか?どういう事に怒り、憎しみ、感動するのか・・・・
人々の本質が明らかになっています。それはSNS、掲示板、ニュースサイト・・・等で全部わかります。
別にAIを使ってビッグデータを収集して凄い難しい解析などする必要はありません。日本人の真の姿のそのままがネット上に表れているのです。
自分達はどういう性質を持っているのか?
人々自身が自分の真の姿をそのままネットに表現してます。
「毒投稿」
例えば、日本のニュースサイトの中でもっともPV数が多いとされる「ヤフーニュース」のコメント(ヤフコメ)欄では、感情的で短絡的で攻撃的な感じのコメントが大量に並び、それらに何万ものイイネが押されています。
短絡的で攻撃的で感情的で自分勝手。そしてデマが蔓延。人々は自分の都合の良い様に認知を修正したいという欲望のためデマを信じ込みます。そしてそれを広めています。
ヤフコメにおいては長文コメントで一見論理的に見える文章でも、短絡的に自分の願望を満たすような偏った都合の良い情報だけをネットで集めて組み合わせたような文章がほとんど。短絡的で感情的で攻撃的なのです。
人々はなんでこんなコメントをしているのか?そして何故それらに賛同を示しているのか?
私は文章も下手で知識も少なくて論理的思考能力も低いのに、
そんな私でも異常事態と思うのですから、日本のこの状況は相当ヤバい状況である訳です。
ヤフコメでは一部の偏った人達だけが大量に書き込んでいるのかもしれません。しかし、ヤフコメだけではありません各種SNSやYouTubeやその他のサイトで読む大多数の日本人の人々の意見も似たような感じです。
これらの短絡的で攻撃的で感情的な投稿を「毒投稿」と名付けてみます。
「毒投稿」を行う人の姿の想像図
私は90年代の終わりころからネットを使っていましたが、現在はもはや日本人が総2chネラー化したような感じがします。一体何が起きてるんでしょうか?
社会がバグっているんでしょうか?
そうではないと思います。
もともと日本人はそうだった
私は上記の現象は建前によって巧妙に偽装されていた日本人の真の姿がさらけ出されているだけだと思います。
インターネットが無かった時代は人々の本音を隠すことが出来ました。国会中継やニュース番組に登場する人々のような真面目で勤勉な姿が真の日本人の姿であると錯覚させることが出来ました。しかし、日本社会の裏では常に激しい虐めや搾取やパワハラが延々と行われていました。
2000年代以降になってから日本のネット上でヘイトスピーチが蔓延し止まらなくなりました。そして2010年代になってからようやくその事が社会問題だとされるようになった。
ヘイトスピーチは外国人への嫌悪(ゼノフォビア)、レイシズム(人種主義)を表明や扇動するもの。このヘイトスピーチは先にあげた「毒投稿」の典型的な例です。
短絡的で攻撃的で感情的・・・その日本人の本質は彼らが行うこのヘイトスピーチに端的に表れています。
しかも彼らは他国の人を差別した同じ口で自分は「美しい日本人」などというような事を言って自己陶酔に浸る。彼らは自分達は素晴らしい人間であると言い続ける。おそらく彼ら自身も自分たちは素晴らしい人間だと思っている。
「普通の日本人」がヘイトスピーチを行いながら自己陶酔に浸る状態像を示す参考図
リベラルとされるある識者が講演会でこのような事を言っていました。「ネットでヘイトスピーチをしているのは非正規労働者で将来に絶望し自暴自棄になっている若者たちだ」別の識者がTV番組でも同種の発言をしていました。それらの発言に違和感を抱きました。
当時私は正に非正規労働をしているワーキングプアの20代でした。職場には外国人労働者が多く、彼らは一緒に働いている人達という認識だった。特に外国人だからと嫌な思いなど何も持たなかった。自分と同じ身分で頑張る人達という認識でした。(私だけではなくて他の非正規労働者の人々も外国人と一緒に働く事は多いです。非正規労働の現場は国際的です。)
だからむしろ自分はネットで差別主義者に腹が立って彼らを批判ばかりしていた。そして差別主義者たちにやり玉にあげられて炎上してアカウントを消すという事を何度か繰り返していました。
そんな事をやってた10年以上前から感じていましたが、そういった差別主義者の人々はある程度恵まれた人々ではないか?と感じていました。何故なら私の労働環境を見下す人が多かったからです。
そして最近、彼らの正体が明らかになった。何故なら色々と事件が起きて、彼らが訴えられたりなどして、彼らの正体が判明する事になったからです。また様々な統計調査によっても彼らの正体が明らかにされました。
彼らの平均年齢は約42歳で、中所得者層以上で、管理職や自営業が多く社会的に恵まれた層の人々だったのです。そしてその中には役人や年金事務所の所長や医師やCEOなど・・・。日本の上位層、エリートとされるような地位にいる人々が少なくなく含まれていたのです。
良い学歴があり、子供もいて、社会的地位もあり、資産もある。そんな立場の人々があのような書き込みをしていたのです。模範とされるような日本のエリート層がこうなのです。社会的に確立した体制に属す「支配階級」の人々がそうだったのです。これは日本の全体的傾向が元来そうだったという事を示唆しています。
メディアは不安で不快
上記のヘイトスピーチ問題は日本が「毒社会」であることの一例です。
もっと端的に日本の毒性を示すものは「メディア」に表れているように思います。
TVにおいてはバラエティー番組やCMやアニメ等・・・。短絡的で感情的で攻撃的です。そして鬼滅の刃・・・。
鬼滅の刃についてはこの記事にレビューを書きました。(このレビューは現代の日本を支配する鬼滅の刃”信者”たちに殺される覚悟で書きました。)
この鬼滅の刃という作品は現在の日本を象徴する作品だと思います。何故なら多くの日本の人々が絶賛しています。日本の大人から子供まで大好きな作品。日本中のコンビニや観光地やショッピングモールなどがこの作品のグッズやポスターなどであふれています。
この作品を絶賛する現象からは、多くの現代日本人が短絡的で感情的で暴力的で残酷な事が大好きであるという性質が良く表れています。
私はもうテレビを見ていません。上記に書いたように見ていて本当に不快になります。嫌なのです。私は子供の頃はテレビが大好きでした。そして、夜中真っ暗な時にテレビをつけると少し安心しました。
国会議員や識者などを見ると「ああ頭のいい真面目な人たちが世の中をちゃんと管理しているんだな・・」
ニュースを見ると「世の中の問題をメディアは把握してくれているんだな・・」
芸能人を見ると「面白い事をして楽しませてくれる人たちがいてくれて嬉しい・・」
などと感じて、子供の頃はテレビ番組は私に安心感をもたらしました。当時は洗脳されていたのだと思います。
しかし今はテレビを見ると不安になります。テレビでは異常な事を人々が行っているように思うのです、そしてそれを人々が喜んで視聴している事を想像すると非常に不安になります。
※これは統合失調症の妄想ではありません。私に統合失調症の薬を飲ませようとしないでください。
テレビ番組が不安を掻き立てるのです。アナウンサーの話し方やバラエティー番組の司会者やテレビドラマや歌謡ショーやテレビCMや・・・・etc
全てに不安を掻き立てられるのです。この気持ちを端的に言うと「頭のおかしい人々に人々は洗脳されている」という感じです。私もある程度は頭がおかしいと自覚しているし、様々な至らない点がある人間です。しかし、これはあまりにもひどすぎるのではないか?と思うのです。
「洗脳」と書きましたが、正確ではないかもしれません。何かの目的をもって誰かが人々を洗脳しているわけではなく、人々自身が無自覚に人々自身を間違った方向に導こうとしている。という事だと思う。
おそらく人々は現実が耐えられないので、無意識に自分の認知を歪ませようとしている。そのために共同幻想のような世界を作ってその世界に合わせて己の認知を歪ませようとしているのだと思う。それがテレビ番組の世界であり、漫画でありアニメであり映画でありフェイクニュース・・・・。
人々はその歪んだ幻想による磁場によって心のコントロールを奪われ、人々が自ら毒社会を作り上げているのではないか?
そして毒社会にある本質とは短絡的で感情的で暴力的・・・それを追求した先にあるのは・・・おそらく理由のない暴力。
毒社会の精神の本質の核
ある時ドイツを放浪している時にハンブルグにある博物館だったと思いますが、そこで見た「Kamikaze」という展示コーナーが物凄く印象に残っています。その展示コーナーではとても荒々しく汚い字で「Kill them all ! (皆殺し!)」などと書かれた絵が展示されているのです。
また、素人か子供が1分で書いたような粗雑に適当に書いた感じの絵が沢山展示されていました。
その粗雑な絵の作品群の内容は人を斧で攻撃する場面、人を殺す場面、死体を遺棄する場面、女の子を乱暴する場面・・・・。残虐な物ばかりでした。
粗雑に表現した残虐な場面の数々・・・
どういう意図で作られた作品群なのかは良く分かりません。でも、これらは現代の日本の人々がネットやメディアで表出し続ける精神の本質の核心のような気がしました。
もともと、日本人の真の姿は明らかにされていますが、おそらくゼイリブのサングラスで更に日本のネットに投稿された文章やテレビ番組、漫画、アニメ、映画などなど・・を見るとこのKamikaze展に展示された残虐な作品群が見えるのではないでしょうか?
それは日本人の本質の更に奥にある「本質の核」のようなものだと思います。
日本のメディアに表現されるものそれらは外見だけは綺麗に飾られています。しかし、今、多くの日本人が大絶賛する「鬼滅の刃」が象徴しているように、短絡的で感情的で暴力的な本質が外見の奥に控えています。そしてその本質のさらに奥にある本質の核は単なる粗暴な残虐性なのでは?
そして日本のネットに投稿された文章やテレビ番組、漫画、アニメ、映画などなど・・が示し続けている通り、日本の現実を支配する精神的傾向も当然同じ。学校にしても職場にしても「修羅の世界」である。
いじめ、差別、ブラック企業、パワハラ、貧困、貧困ビジネス、虐待、教育虐待、毒親、鬱、自殺・・・。
私自身も大した人間ではないし、知力も低くて、人間性も至らない部分が沢山あるが、そのような人間から見ても「今の日本はいくら何でもひどすぎる」という状況だと感じます。なので相当ひどい状況なのだと思う。
毒社会から距離を置いていく
私は日本社会に特化して書きましたが、おそらく外国の社会にも様々な問題があるでしょう。この「毒社会」から逃れる為にどうすればいいのでしょうか?
冒頭で書いたように、毒親から解放される為には毒親から経済的自立し離れる事が決定的に重要でした。同様に、「毒社会」から独立して離れる事で更なる解放がもたらされるのではないでしょうか?
しかし、それは簡単な事ではありません。社会から完全に自立するためには自給自足の生活が必要になると思います。無人島などでサバイバル生活が必要になります。とても難易度が高い事です。
しかし、毒社会との関係性を薄めて離れる事は出来るのではないでしょうか?例えばテレビ番組、漫画、アニメ、映画などなど・・・からある程度距離を置く。また、ヤフコメや匿名掲示板など極端に毒性が高い場所に書き込まない。など。
それらはとても簡単です。単にそれらを遮断すれば良いだけです。
私は10年間くらいテレビを見ていないし(テレビはもはや街頭テレビや家電量販店やレストラン・・などで目にするだけ)、ヤフコメや匿名掲示板の観察や分析はするが、書き込んだりはしない。映画は一年に数回程度見るだけ。
それだけでも世界が大分違って見えます。
今では上記で書いたように日本の社会が狂喜して享受するようなものは異常に見えるようになりました。テレビ番組、漫画、アニメなど・・。
そして自分の人生のコントロールを大分取り戻したと感じています。洗脳から抜け出して思想信条の自由を得たように感じています。今後も社会との繋がりを薄めて行きたいと思っています。毒社会からの解毒を進めます。
また現代はデジタルノマドのようにインターネット活用して国を自由に超えて生きる事も可能です。終身旅行者(PT)という生き方もあります。そのような事を現に行っている人々がいます。
しかし、いずれにしても自給自足の生活をしない限りは完全に毒社会を遮断する事は不可能だと思います。生きる為に社会のインフラが多くの場面で必要になります。
でも、それら社会のインフラは単なる道具として使っていけば良いのだと思います。それらを使う為に社会と深くかかわる必要はありません。社会保障や公共交通機関やインターネットなど自由に社会のインフラを単なる道具として使えば良いのだと思います。
それは鳥が巣を作る時に、プラスチックや人工物を利用するのと似たようなものだと思います。この社会を生き抜くために使える道具は使っていけば良いのです。
社会保障もGo To Travelも何だろうと道具として便利ならば活用すれば良いのです。
この世界はいわばジャングルのようなものだと思う。毒蛇や猛獣だらけ。「毒親」や「毒社会」・・・。危険で一杯です。なるべくそういうものに関わらないように距離を置きながら、上手く道具を使いながら木の実や果実を手に入れ生存して行く・・。
そんな風に「毒社会」から距離を置いて生きて行く。そうする事で真に自由で豊かな人生に近づけるのではと思っています。
それを目指して私は今後も生きて行きます。
こんにちは、生活保護と障害年金を受給している現在27歳の引きこもりです。
今現在日本で流行っているとされているコンテンツの何を見ても息苦しく、マンガ、ゲームアニメ等は2015年までのものしか見ていません。日本語圏発とされているコミュニティはどれも息苦しく感じています。
僕は学生時代には環境に恵まれたからなのか、特に自分の性格が問題になることはありませんでしたが、エリート主義の反動と言いますか、反知性主義のようになってからというものの、何をしてもどんなことを言っても「ネトウヨ」の一言で片付けられ、
SNSで批判されているものは批判しなければならず、SNSで称賛されているものは称賛しなければいけない雰囲気が現実世界にも出てきて、とうとう25歳で引きこもりになってしまいました。
頑張って仕事をしたり、勉強したりすればするほど現実世界だけでなくSNS上の人も冷たく、それを見た人達が真面目に頑張った人を煽るようなメディア記事ばかりが書かれ、いつの間にか何処にも居場所がなくなってしまいました。
学歴は関係ないと言うくせに義務教育はきちんと受けるべきだとか…引きこもりが生活保護を受けにくくなるように世論を誘導してみたりだとか…
すみません、乱文になってしまいました。
こんにちは!コメントをありがとうございます!
私は、いわゆる「一般的」な社会のレールから幼い頃に外れてしまった事もあり、日本の一般大衆に支持されているようなフィクション作品は昔から共感出来ないです。例えば中学以降学校に殆ど通っていないので、「学園ドラマ」などで高校生活を描いたドラマなどを見ても殆ど共感出来ないのです・・。もう、今はテレビは全く見なくなりました。また、仰っているように日本社会にはSNSや現実社会において強い同調圧力というものもありますよね。私はそれが嫌なので全く集団に属さずに勝手に一人で発信しています。笑
北海道の旭川の公立中学のいじめ問題から見える事は
警察も事件の証拠を見つけ
加害者生徒も態度は悪くも謝っていますが
学校や市の教育委員会はいじめを否定しています。
この学校教師や教育委員会は
自分達の地位を守る為に全力で隠蔽をしている組織です。
こんな人達は与えられたマニュアル通りに生徒を管理する
受け身の教師達だと推測しています。
旭川市の教育委員会だけではなく
同じ様なレベルの教育委員会が他にもあっても
おかしくありません。
そこで管轄される学校は
マニュアル通りの事を生徒にやらせるだけの
ニセ教育で
それをこなす事が教育を受ける事だと思っている
子供達は精神的な成長がなされないまま
育っていくでしょうが
そんな受け身な学校も年々増えている様な気がします。
社会がおかしくなっている原因に
そんな教育組織が背景にあると思います。
もし、そんな学校に通ってしまったら
自分らしいアイディンティーを形成するのを
妨害されたり
狡猾で受け身な大人が正しいと思い込んだり
問題だらけになってしまいます。