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ロシア26日間の旅④ ウラン・ウデ-チタ編 旅レポ7

2019年ロシア26日間の旅④ 山添博之

 

 

2019年5月23日から6月17日までの26日間、ロシアを旅していました。

モスクワ(Moscow)、カザン(Kazan)、ノヴォシビルスク(Novosibirisk)、イルクーツク(Irkutsk)、ウランウデ(Ulan-Ude)、チタ(Chita)、ハバロフスク(Khabarovsk)、ウラジオストク(Vladivostok)を訪れました。

 

 

飛行機とシベリア鉄道を使いながら、各都市に立ち寄りながらモスクワからウラジオストクまでロシアを西から東へ横断。

その旅のレポート記事を数回に分けて書いていきます。

 

今回は第四弾。ウラン・ウデ-チタ編のレポート記事を書きました。

 

 

シベリア鉄道でウラン・ウデに到着!

 

 

イルクーツクからシベリア鉄道に乗って約七時間後、

ブリヤート共和国の首都であるウラン・ウデ に到着しました!

ウラン・ウデはロシアにおけるチベット仏教の中心地とされる場所です。

 

 

 

ウラン・ウデは人口の約30%をブリヤート人という民族が占めています。

そしてこの民族は我々日本人と同じモンゴロイドの人種で、主にチベット仏教を信奉しています。

市内にはチベット仏教の寺院が沢山あります。ロシアではユニークな場所ですね。

 

市内の中心部から少し離れた場所にロシアにおけるチベット仏教の聖地とされる場所があります。そこにも後に訪れてみました。

 

 

ウラン・ウデの街を歩く

 

 

ホテルにチェックイン後、ウラン・ウデの街の中心部を歩きました。

 

 

 

街を歩いていると、我々と同じモンゴロイドの人種の住民を頻繁に見ます。彼らはブリアート人と思われます。

彼らはロシア人達と混ざり合って生活をしています。

 

ウラン・ウデには町の広場にレーニンの巨大な頭部の像がありました。

このレーニンの巨大頭部は広場でひと際目立っており、とても印象的でした。

 

街を歩いて市内の正教会内部に入ってみました。

 

 

ウラン・ウデの街の中心部の様子

 

 

ウラン・ウデの博物館にも立ち寄ってみました。

 

 

 

 

ファミコンがありました。ソ連時代のロシアの人達もファミコンで遊んでいたようです。

でも少し形状が違います。コピー品のファミコンでしょうか?

後で調べたら、ソ連にはデンディと呼ばれるコピー品のファミコンが流通していたようです。

 

 

チベットの聖地へ!

 

 

ウラン・ウデの市内から少し離れた場所にロシアにおけるチベット仏教の聖地とされる場所があります。

ネットで調べたら小型バスのマルシュルートカ(マルシルートカ)を乗り継いだら到達できるようです。行ってみる事にしました。

 

イヴォルギンスキー・ダツァンに到着

 

 

地元の人達に道を聞きながら、小型バスを乗り継ぎ、

ロシアにおけるチベット仏教の聖地とされるイヴォルギンスキー・ダツァン(Иволгинский Дацан [Ivolginskiy Datsan])に到着しました!

 

イヴォルギンスキー・ダツァンの様子

 

聖地内は時計回りに周ります。時計回りにどういった意味があるのかは分かりませんが、それがチベット仏教のルールのようです。

巡礼者の人達が沢山訪れていました。チベット仏教の修行僧の人達も見かけました。修行僧はダライラマと同じ格好をしています。

 

マニ車を回してみました。

 

 

 

寺院の中にも入ってみました。

チベット仏教の仏画やダライラマの写真が掲げられていました。

 

ドキュメンタリーなどでしか見たことなかったチベット仏教の寺院。

際に中に入る事が出来て感動しました。

残念ながら寺院内は撮影が禁止されていました。

 

お土産を買った後、再び小型バスを乗り継いでウラン・ウデの市内中心部へ帰りました。

 

 

再びシベリア鉄道の寝台列車で移動

 

 

ウラン・ウデを後にし、次の目的地である、ザバイカリエ地方のチタへ向かいました。

シベリア鉄道の寝台列車に再び乗り込みました。

 

 

 

シベリア鉄道は本当に最高ですね。雄大な自然や村の風景を眺めながら食事を楽しめます。

 

 

シベリア鉄道でウラン・ウデからチタへ向かっています。

 

動画を撮ってみました。

 

 

シベリア鉄道の寝台列車は比較的ゆったりとした速度で進みます。

 

このシベリア鉄道の寝台列車の中でどこまでも続く雄大な自然を眺めながら、その自然の中に点在する村々の人々の生活は一体どんなだろうと想像を巡らせていました。 そして世界はこんなに広大で美しいのに、何故引きこもって狭い世界だけで長年暮らしていたんだろうなどと考えていました。

今回は目的地までの所要時間は約11時間。次の日の早朝にチタに到着します。

この日は車内で少し眠りました。

 

 

 

2時間くらい眠った後、早朝に起床しました。

早朝に日の出を見られて感動。

 

 

シベリア鉄道の寝台列車の寝台と日の出

 

 

チタに到着!

 

 

シベリア鉄道でザバイカリエ地方のチタに到着しました。

 

チタは人口約30万人の都市。イルクーツクと同じくロシア帝国時代には政治犯などの流刑地とされていました。

チタは日本とも歴史的に関わりがあり、1918年のシベリア出兵時には日本が一時的に占領していました。その頃のチタは約数万人の人口の小さな都市だったようです。その後、1922年に赤軍側の勢力である極東共和国に占領され、その後ソ連領となりました。

 

チタに到着後、ホテルにチェックインしました。

一泊4500円と安いですが、清潔で広々とした部屋でした。快適に過ごしました。しかも朝食付きです。

 

 

 

チタの中心部を歩く

 

 

チタの街の中心部は小綺麗でとてもスッキリ整然としています。

チタの街の広場には定番のレーニン像。チタのレーニン像はシンプルに直立した姿でした。

 

 

チタの駅と街の中心部にある広場の様子

 

 

戦車の公園

 

 

この街にも戦車などの兵器をずらりと並べた公園がありました。

ロシアでは定番のタイプの公園ですね。

 

 

 

「ロシアの日」 お祭り

 

 

6月12日はロシアの日という記念日でした。

「ロシアの日」はソ連体制が終了し、新たなロシア国家が樹立した事を記念する日のようです。

 

レーニン像がある街の広場でお祭りが行われていました。

 

 

6月12日にチタで開催された「ロシアの日」のお祭り

 

 

次から次へと様々なジャンルのロシアのパフォーマー達が出演し、歌やダンスや演奏を披露していました。ずっと何時間も聞き入っていました。

 

 

 

夜には花火が打ち上げられていました。ホテルの部屋から見ることが出来ました。

 

 

 

チタの街では「ロシアの日」の祝祭を見れて良かったです。

特にコンサートイベントは中々見ごたえがありました。様々なロシア音楽を聴くことが出来ました。

 

 

ハバロフスクへ

 

 

タクシーで空港に到着、飛行機で次の目的地であるハバロフスクに向かいました。

快晴で、窓側の席だったのでチタの街を撮影することが出来ました。

 

 

上空からのチタの様子

 

 

まとめ

 

 

ウラン・ウデではチベット仏教の聖地を訪れる事が出来ました。

映画やテレビドキュメンタリーでしか見たことなかったチベット仏教の寺院。実際に寺院の中に入って内部を見る事も出来ました。感激しました。

チタでは「ロシアの日」という記念日を祝うお祭りを見れました。

ライブコンサートではロシアの民族音楽、伝統音楽、現代音楽、ダンス等・・様々なタイプのロシアのパフォーマー達の上演を生で見れました。とても充実した旅となりました。

 

 

最後に、紹介しきれなかったウラン・ウデとチタの箇所をギャラリーにしてみました。

以上でウラン・ウデとチタ旅のレポートを終わります。

 

 

 

 

26日間のロシア旅はまだまだ続きます。次はハバロフスクとウラジオストクの旅です。

第五弾のレポートに続きます↓

ロシア26日間の旅⑤ ハバロフスク-ウラジオストク編

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