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2019年東南アジア30日間の旅③ カンボジア プノンペン 山添博之
2019年11月6日から12月6日までの30日間東南アジアを旅していました。
東南アジア30日間の旅の計画
この30日間の旅では、以下の国々の各都市を訪れました。合計4ヵ国と7都市です。
フィリピン(Philippines)のマニラ(Manila)、
ベトナム(Vietnam)のホーチミン=サイゴン(Ho Chi Minh City = Saigon)、
カンボジア(Cambodia)のプノンペン(Phnom Penh)、シェムリアップ(Siem Reap)
タイ(Thailand)のバンコク(Bangkok)、パタヤ(Pattaya)、アユタヤ(Ayutthaya)
その旅の詳細をレポートした記事を数回に分けて書きます。
今回は第三弾。カンボジアのプノンペンの旅をレポートした記事になります。
この記事が何かの参考になれば嬉しく思います。
プノンペン国際空港に到着
ベトナムのホーチミン市からカンボジアのプノンペン国際空港に到着しました。
カンボジアへの入国にはパスポートに加えてビザが必要になります。
しかし、パスポートと米ドル(30ドルだったかな?)さえあれば空港に到着時に窓口で申請し、その場で観光ビザを作成する事が可能です。観光ビザでは最大30日間の滞在が可能です。
空港でATMからカンボジア全土で利用可能な米ドルを90ドルほど引き出し、タクシーでホテルへ移動しました。
ホテルにチェックイン
タクシーで無事ホテルに到着。到着した時はもう夜になっていました。
タクシーから見たプノンペン市内はホーチミン市ほどではないですが、バイクの量が非常に多くて交通は混雑していました。
プノンペンの街並み
そしてプノンペンには仏教寺院が沢山ありますが、カンボジアはタイの系統(パーリ仏教)なので寺院のスタイルが日本とは全く違います。
ホテルの部屋は広々としていてバルコニー付きでした 右の写真はバルコニー付からの眺め
ホテルの周りは繁華街になっており多くの人々で賑わっていました。
夜のプノンペンを歩く
夜のプノンペンの街を少し歩いてみました。
ネット情報によるとプノンペンはひったくりが多発しているようです。特にバイクを使ったひったくりが多く、バイクの運転手が歩行者を追い抜く際にバックやスマホなどをひったくっていく事がよくあるようです。
カンボジアは最近(93年)まで内戦が続いていましたから、治安もそれなりに悪い場所のようですね。
プノンペンを歩いています。この街はひったくりが頻発しているそうです。93年まで内戦中で銃も出回っており注意が必要。
そして大麻が半ば公然と売られてます。タクシーや路上で売人に声かけられます。
通貨は米ドルが使えますが、お釣りは現地通貨リエル(写真4枚目)な事も。#引きこもり #一人旅 pic.twitter.com/5ThkSSNQQC
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 15, 2019
夜のプノンペンはとても賑わっていました。マーケットやレストランのある通りは多くの人々が行き交っています。路上には屋台が沢山出店されています。
上のTwitterにも書きましたが、プノンペンでは大麻が半ば公然と売られており、路上やタクシーの運転手等に買わないかと声を掛けられます。もちろん違法なので注意が必要ですね。
ホテルの近くにトンレサップ川という大きな川があります。
夜のトンレサップ川の様子。
夜はもうあまり出歩かずホテルで寝ます。
明日はプノンペンの様々な場所を巡って見ます。🙂#カンボジア #プノンペン #引きこもり #一人旅 #元引きこもり pic.twitter.com/4Y5PaBDixG
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 15, 2019
このトンレサップ川は1Kmほど南に行くとメコン川に合流します。
遥か北には水上生活者の村があります。その村はプノンペンの次の目的地であるシェムリアップを旅した時に訪れました。この水上生活者の村の事は次回の記事に書きます。
ホテルの朝食
ホテルはブッフェ形式の朝食付き。
4000円程度のホテルでしたが部屋も朝食も中々豪華。物価が安い地域は良いですね。
ホテルのレストランで朝食
ホテルのバルコニーからは街の様子が分かります。ベトナムの街並みとは建物のスタイルが大きく違います。
ホテルのバルコニーからの様子
建物はインドや中東の雰囲気に似ている印象。そしてカンボジアの人々の皮膚は比較的濃色の人が多いです。顔の彫りもが深くやはりインド系の人々と似ている印象。隣国のタイやベトナムの人々とは外見が結構異なります。
インドの宗教であるヒンドゥー教の帝国のクメール王朝(後に仏教化)を建国したクメール人(カンボジア人の約90%がクメール人)のルーツがインド系という事なんでしょうか。
タイやベトナムは直ぐ隣なのに、人々の外見や建物のスタイル等が大きく異なりますね。
右の写真のテントはローカルマーケット。食品や雑貨など様々なものが売っていました。
プノンペンの街を歩く
プノンペンの街を歩きました。
プノンペンの街の様子
ホーチミン市と比べると近代的な建物が余りありません。同じ第三世界のアジアの国でもそれぞれの国に個性があり独特の雰囲気のあります。興味深いです。
街を見ながらプノンペンの様々な場所を巡りました。
仏教寺院 Ounnalom Pagoda
プノンペンの仏教寺院Ounnalom Pagodaにやってきました。
前述のようにカンボジアの仏教寺院はカンボジアはタイの系統(パーリ仏教)なので建物のスタイルが日本の仏教寺院とは全く違いますね。
仏教寺院Ounnalom Pagoda
プノンペンの仏教寺院 Ounnalom Pagoda の内部の様子です。日本の寺院とは全くスタイルが違いますね。🙂#カンボジア #プノンペン #一人旅 pic.twitter.com/r3NFp9yHsK
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 16, 2019
寺院の内部はネオンで装飾されていました。
ちなみにこの寺院には観光客を待ち伏せている三輪タクシーの運転手がいて、声をかけてきてしつこく客引きをして来ます。
プノンペンでは様々な観光スポット等で観光客を待ち伏せている客引き(タクシーやツアーやセールスマンなど)が居ます。訛りは強いですが、結構な語彙の量を駆使した英語で話しかけてきます。彼らは基本的にとてもしつこいです。(笑)
でもハッキリと何度もNOの意思を示せば去って行ってくれますので、基本的に無害だと思います。
カンボジア国立美術館
カンボジア国立美術館を訪れました。
クメール王朝時代(9世紀〜14世紀)の数々の遺物が展示されていました。ヒンドゥー教神々の像と仏像が沢山展示されています。
昔、カンボジアにあった帝国であるクメール王朝は当初、ヒンドゥー教の王国でした。後に仏教国化します。そういう経緯もあって、カンボジアの歴史はヒンドゥー教と仏教が織り交ざっています。
カンボジア国立美術館
「虐殺収容所」のトゥールスレン(s21)
カンボジアは1975-1979年までポル・ポトを精神的指導者とするクメール・ルージュという勢力が支配する民主カンプチアという国家でした。
この時代はポル・ポトによる反対勢力の虐殺と恐怖政治が行われていました。
ポル・ポト、クメール・ルージュは都市文明を徹底的に破壊し、人々が原始的な農業のみで共同生活を営む「原始共産主義社会」を実現する事を目指しました。
都市部の住民は農業を営み共同生活をするために農村に強制移住されられていきました。
クメール・ルージュ、ポル・ポトによる支配の下、カンボジアでは通貨が廃止され、財産が没収され、そして反対勢力とみなされたものはどんどん処刑されていきました。
「虐殺収容所」のトゥールスレン(s21)にやって来ました。
ここではポルポト時代に約2万人の反革命分子とされた人々が収容され、拷問を受け、ほぼ全員殺されました。生存者はたった7名。復讐を防ぐために家族まで殺害されました。
4枚目の写真は収容者された人々。#トゥールスレン #ポルポト #s21 pic.twitter.com/SayXsOl9c2
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 16, 2019
ここトゥールスレン収容所ではポル・ポトの反対勢力とみなされた人々が収容されて拷問を受けた挙句、殺されていきました。
トゥールスレン(s21)の様子
トゥールスレン収容所は当時の史料を保存した博物館となっています。
収容所の看守側と収容者側の人々の写真が掲示されていました。どちらの側も10代前半の若い人が多く目につきます。クメール・ルージュには10代前半の子供が多く徴用されていたそうです。
収容された人々は先述のようにポル・ポトの反対勢力である反革命分子とされた人々でした。その反革命分子の認定方法がいい加減で、明確な政治的反対者だけでなく、単に眼鏡をかけている者や、本を読んでいる者なども知識階級と認定され反革命分子とされて収容されていきました。
収容された人々は拷問された挙句に殺されていきました。14,000~20,000人が収容され生還できたのはわずか8人だそうです。
実際に処刑された人々の骨も展示されていました。掲載するのはやめておきます。
トゥールスレン虐殺収容所のC棟の2f収容部屋。
この棟は拷問から逃れる為に収容者の飛び降り自殺者が出たので窓やベランダは有刺鉄線が張られました。 pic.twitter.com/rdYxbbYnK6
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 16, 2019
旅をしながら学びましたが、実はカンボジアは60年代まではとても経済発展した国で日本よりも豊かだったそうですね。
しかし、その後の東西冷戦の代理戦争であるベトナム戦争に巻き込まれ、アメリカに大規模空爆され、その後内戦になり、そしてこのクメール・ルージュによる支配を受けて徹底的にこの国は破壊されてしまいます。
ポル・ポト、クメール・ルージュに支配された時代のプノンペンはゴーストタウンと化していました。
プノンペンのマーケット
プノンペンの街の中心部にある巨大マーケットにやってきました。
食品から衣類や宝飾品まで様々なものが売っています。
プノンペンの街の中心部にある巨大マーケット
オーストラリアから来たという家族連れの人に話しかけられて雑談しながら一緒にマーケットを巡っていました。
この街では様々人に度々話しかけられます。中には客引きや薬の売人や詐欺師もいると思いますが、普通に良い人も多いです。
キリングフィールドへ
そして次の日、ホテルで朝食を食べ、キリングフィールドに出発しました。
ホテルの朝食にはよく分からない果物や野菜や木の葉っぱや植物の茎など、今までの人生で食べた事のない謎の食材が使われていて興味深いです。しかも美味しい。
朝食を食べています。😊
プノンペンでは今までの人生で見たことのない料理や食材に度々出会います。
よく分からない果物や野菜や木の葉っぱや植物の茎など・・。
一体何なのかよく分からないけど美味しいです。🤣👌#カンボジア #プノンペン #一人旅 pic.twitter.com/8RchTaxGqA
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 17, 2019
キリングフィールドとはポル・ポト時代に人々が虐殺された処刑場の事です。この処刑場(キリングフィールド)はカンボジアの国内に100ヶ所以上あります。犠牲者数は定かではなく一説によると100-200万人と言われています。
トゥクトゥク(三輪タクシー)で出発
トゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシー(バイクで客席を牽引して走るタイプのタクシー)でキリングフィールドへ出発しました。
ちなみに、トゥクトゥクを利用する前に十分に価格交渉をする必要があります。事前に価格を運転手と交渉して決めておかないと、到着時にボッタクリ運賃を要求される場合があります。
トゥクトゥク乗車中の様子を動画に撮ってみました。
トゥクトゥクに乗車中です
キリングフィールドに到着
プノンペンの街の郊外にあるキリングフィールドに到着しました。
キリングフィールドに到着しました。ここでトゥールスレンからの収容者らが連行されて処刑されました。
慰霊塔には大量の犠牲者の遺骨(約1万体)が保管されています。
復讐を防ぐために親族も殺害されました。4枚目の写真の木では子供達が頭を打ち付けられて処刑されました。#キリングフィールド pic.twitter.com/eZz9K3fEE8
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 17, 2019
ここにトゥールスレン収容所の収容者が連行されて処刑されました。
クメール・ルージュは銃弾は貴重だったのでナタやハンマーや木を用いて人々を処刑しました。
ここにはトゥールスレンと同じく実際に殺された人々の大量の骨が展示されていました。(写真を掲載するのは辞めておきます)
キリングフィールドの様子
大量の人骨や様々な史料を見て、実際にこの地で起きた事に対する実感が湧きました。
やはり実際に現地に訪れる事で、その場で起こった事を実感を持って感じられます。
私は歴史の知識はあまりない無知な人間ですが、こういう場所を訪れると数々の史料が否が応でも頭の中に切迫感をもって迫って来て記憶に強く残ります。
そして、この場所で起こった歴史的事件に到達するまでの経緯やその後の経緯などを知ろうという気になり、その後、カンボジアの大まかな歴史を調べました。犠牲者の遺骨や遺品などを見て、一体何が起こったのか前後の経緯を含めて知らなければいけないという義務感を感じたからだと思います。
ドイツでもナチス時代の強制収容所を見学しましたが、そういう場所は人々が訪れる事で歴史的な事件を実感を持って感じる事が出来て、学びの切欠になるという意味でとても重要だと思いました。
トゥクトゥクに乗って次の目的地であるカンボジア王宮に向かいました。
トゥクトゥク(三輪タクシー)でプノンペンの郊外を移動中。
郊外の人々の暮らしの様子が良く分かります。🙂#トゥクトゥク pic.twitter.com/JN102Os6Gz
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 17, 2019
カンボジア王宮
カンボジア王宮に到着しました。
カンボジア王宮にやって来ました。#カンボジア王宮 pic.twitter.com/z7XhsSqnfI
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 17, 2019
このプノンペンにあるカンボジア王宮はフランスの植民地時代の1919年に建設されました。
フランス人建築家が設計したので洋風の王宮です。でも屋根などのデザインがクメールの独特の様式となっています。
カンボジア王宮
シルバーパゴダ
カンボジア王宮の隣にあるシルバーパゴダを訪れました。
ここはカンボジア王宮に隣接する仏教寺院の区画です。
この寺院は1892年に建てられました。王室の祖先を祀っているそうです。この寺院の区画を取り囲む回廊にはラーマーヤナの物語が描かれています。
寺院建物内部は撮影禁止。黄金のブッダ像などがありました。
シルバーパゴダ
更にプノンペンの街を歩きます
そして次の日の朝、ホテルで朝食を食べて更にプノンペンの街を歩きました。
朝食を食べています。😊
昨日はキリングフィールドを実際に訪れ、衝撃を受けて少し精神的にヤバかったですね。😓
しかし、実際にあの場所を訪れて本当に良かった。約40年前に起きた非常に重要な人類の歴史的事件の内容を実感する事が出来ました。#カンボジア #プノンペン #一人旅 pic.twitter.com/rLbl0390Yp
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 18, 2019
ワットプノン
ワットプノンという場所にやってきました。
かなり古い仏教寺院です。1373年に設立されました。
ワットプノンにやって来ました。1373年に設立された仏教寺院です。#カンボジア #プノンペン #引きこもり #元引きこもり #一人旅 #ワットプノン pic.twitter.com/qcVibMx5pH
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 18, 2019
トンレサップ川
トンレサップ川の川沿いの歩道を歩いてメコン川の合流地点までやって来ました。
川には小さな釣り船、漁船、旅客船、貨物船などが行き交っています。
川沿いには寺院や露店がありました。
この日はとても日差しが強い日でした。気温は32℃くらい。湿度が高くとても蒸し暑い日でした。
トンレサップ川の川沿いの歩道を歩いています。
メコン川の合流地点付近までやってきました。
トンレサップ川(メコン川との合流地点付近)の様子。
トンレサップ川は東南アジア最大の湖のトンレサップ湖から流れる川です。
トレサップ湖では水上に家を立て暮らす水上生活者が約100万人いるそうです。シェムリアップに近いので滞在時に見学に行くかもしれません。🙂#トンレサップ pic.twitter.com/cQrIfjMXtQ
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 18, 2019
カンボジアの伝統舞踊「アプサラダンス」
夜にはカンボジアの伝統舞踊の「アプサラダンス」というショーを見ました。
アプサラとはヒンドゥー教の神話に登場する水の霊。 アプサラダンスは9世紀頃のアンコール王朝時代、宮廷舞踊として生まれたダンスだそうです。
カンボジアの伝統舞踊「アプサラダンス」ショーを見ました。
ヒンドゥー教の影響下で育まれた独自文化。同じアジア人でも日本とは全く違う文化ですね。衣装や装飾品や踊り全てがエキゾチックでとても見応えがありました!🙂
アプサラダンス以外のダンスや演劇も行われていました。#アプサラダンス pic.twitter.com/Q0DYuS8TMY
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 18, 2019
とてもユニークなショーでした。写真撮影が許されていました。
アプサラダンスと演劇
プノンペン最終日
プノンペンの最終日。
ベトナムから急激に悪化していた体調ですが、この日にはようやく体調が完全に回復しました。
Wat Botum Park
Wat Botum Parkという公園を訪れました。
Wat Botum Parkにやって来ました。🙂
広大でクリーンな公園です。菩提樹の下で瞑想するブッダ像や、
ベトナムとカンボジアの友好記念碑がありました。#カンボジア #プノンペン #一人旅 #引きこもり #元引きこもり pic.twitter.com/K623oa0gGN— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 19, 2019
イオンモール
プノンペンにはイオンモールがあります。
周りの混沌とした第三世界の街の風景とは非常に大きなギャップがあります。
プノンペンのイオンモールに入ってみました。😊
日本のイオン等のショッピングモールと基本的に同じですね。
クリーンで巨大なショッピングモール。混沌とした街とは大きなギャップを感じます。
商品の価格設定は日本と同様のレベル。ローカルのスーパーと比べるととても高価です。#イオン pic.twitter.com/yKci2oWoP6
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 19, 2019
プノンペンのイオンモールの価格設定は日本と同程度です。
周りの商店と比べるととても高価です。
プノンペンのイオンモール
独立記念塔
独立記念塔のある広場にやって来ました。
独立記念塔のある広場にやって来ました。🙂
カンボジアの前国王のノロドム・シハヌークの像も近くにありました。#プノンペン #カンボジア #一人旅 pic.twitter.com/20bn32y65A
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 19, 2019
ナイトマーケット
プノンペンの夜のローカルマーケットを歩きました。
プノンペンの夜のローカルマーケット
プノンペンの夜のマーケットの様子。
歌手がステージで歌っており、地面に絨毯を引いて人々が屋台で購入したものを食べていました。🙂#プノンペン #カンボジア #一人旅 pic.twitter.com/78UMF2rGKw
— 山添博之 (@hiroshiyamazoe) November 19, 2019
長距離バスに乗ってシエムリアップへ
ベトナムで急激に悪化していた体調ですが、ようやく完全に回復する事になりました。
プノンペンでは多くの場所を巡る事が出来ました。特にトゥールスレン収容所とキリングフィールドという人類史的にとても重要な出来事が起きた場所に訪れる事が出来てとても良かった。
そして、プノンペンから長距離バスに乗り約6時間かけてアンコールワット遺跡のあるシェムリアップの街に移動しました。
ちなみに、シェムリアップの街では新たな外国の友人を獲得する事が出来ました!
その事はまた次の記事に書いてみます。
東南アジア30日間の旅の第三弾の記事。カンボジアのプノンペンの旅のレポートはこれで終了です。
読んで頂きありがとうございました。
最後に紹介しきれなかったプノンペンの旅の様子の写真をギャラリーにしてみました。
東南アジア30日間の旅はまだまだ続きます。
次はカンボジアのシェムリアップのレポートです↓