その他・雑記

20代前半の極貧暗黒時代を振り返る

ドッグフードで飢えを凌いでいた暗黒時代を振り返る!

 

 

今回は、私が重度の長期引きこもり状態から、社会復帰した直後の20代前半の極貧暗黒時代の頃の事を書いてみます。

 

 

不登校引きこもりからの人生

 

 

私は他の記事などで書いているように、小学校の頃に同じ学校に通う近所の子供達から度重なる※傷害・暴行・脅迫行為を受け続け、対人恐怖症となった結果、不登校・引きこもりとなりました。

※昨今ではSNSで悪口を書かれるなどの、いわゆる”言葉の暴力”などと言われる物理的な暴力を伴わないタイプの「いじめ」が話題となっています。なので、今回はそういった類の現象と区別するために「いじめ」ではなく、傷害・暴行・脅迫行為と書く事にしました。

 

その後、親から放置されて不登校・ガチな引きこもりのまま約10年間過ごすことになります。もちろん、私自身はその道を主体的に選んだわけではなく、幼い頃に度重なる傷害・暴行・脅迫行為を受け続けて重度の対人恐怖症となった後、不登校となり、そして親から放置され見捨てられた事で、そうせざるを得ない環境に追い込まれたという認識です。

 

私は勉強や学校のテストがとても好き(一種のゲームのようで面白い)で、成績も特に悪くなかったので、もし、あのような事が起きなければ、2人の兄のように普通に大学を卒業して、就職して、今頃は所帯を持ち社会と調和した人生を歩んでいた可能性が高いように思います。

 

 

学校のテストは一種のゲームのようで面白い!ペーパーテストが得意で成績は問題ありませんでした。

 

 

小学生でドロップアウト

 

 

しかし、このような事になってしまいました。度重なる傷害・暴行・脅迫行為を受けた結果、重度の対人恐怖症となり、不登校・引きこもりとなり、親からはゴミのように扱われ、無視され、学校や社会からも放置され友人も皆無。完全な孤立。周りから徹底的に言葉だけではなく、物理的な暴力によって攻撃され続けていたので、苦しいし、自分は価値が無く生きているだけで迷惑な存在だから、もう自殺するしかないと思うようになりました。なので、11-12歳頃から何度も自殺未遂をしますが、結局怖くて死ねませんでした。

 

 

小学生で社会のレールから脱線し「普通の人生」と決別することに・・

 

 

自殺しようと心に決めて長期間引きこもっていましたが、何度自殺しようとしても勇気がなく死ねない。自殺未遂を繰り返しながら重度引きこもり状態で約10年間過ごした後、ようやく生きるしかないと決心し、20代前半から動き始めることになります。しかし、この頃の気分は最悪中の最悪でした。

何故なら、もう自殺するから何もかもどうでも良いと思って引きこもり続け、リカバリー可能なレベルを超えて、引きこもり続け、死ぬしかないという所まで自分を追い込んでいたのに、世の中的にはもう後戻りできない完全なキチガイになっているのに、その段階でさえも自殺することが出来ず、社会に帰って行かなければならないという事になってしまったからです。

外や人がとても怖かったですが、地道に進むしかありません。サポートステーションや居場所に通いながら就職のための資格(介護初任者研修、高校卒業程度認定試験、自動車免許)などを取りました。

 

その後、24歳頃に特別養護老人ホームの職員としての仕事を得ることになりました。

 

 

介護職員となりお年寄りたちの介助を行う仕事に就きました

 

 

この職種を選んだ理由は、介護は人手不足なので、自分のような人間でも必要とされるのではと考えたからです。また、福祉の世界で働いている人達は優しい人が多いのではという勝手な先入観もありました。

しかし、それは甘い考えでした。自分にとってはとてつもなく過酷な仕事でした。利用者たちの食事介助、移動介助、入浴介助、トイレの介助まで・・。割り当てられた利用者たちの生活のほぼ全てを面倒見ないといけません。それは覚悟していたのですが、職員たちがとてつもなく性格のキツイ人たちでした。

職員達は常にとてもイライラしており非友好的。敵対的なのです。なのに仕事中は常に職員同士の密なコミュニケーションとチームワークが求められ、同時に利用者との密なコミュニケーションも必要でした。とても高度なコミュニケーション能力が必要で対人恐怖で長期引きこもりをやっていた自分にはとても敷居が高い仕事でした。それでも時給は800円。

すぐ心が折れてしまいました・・。

 

※ちなみに、その頃は向精神薬を大量に飲んでいました、それらの副作用に耐えながら仕事をしており、今考えると異常なほど無理をしていたように思います。今は一切の向精神薬を飲んでいません。私が精神医療ついては思うことはこちらの記事に書いています↓

 

さよなら精神医療私と精神医療 ※この記事は私の経験に基づいた個人的な精神医療に対する感想です。人によって精神医療の効果は違いがあると思...

 

 

仕事ってこんなに難易度が高いものなのかと思い知り、もともと死ぬほど絶望していた所に更に打ちのめされました。でも、1ヶ月間そこで働き、10万ちょっとの給料を貰った時はとても嬉しく誇らしかった事を覚えています。

 

 

ボロアパートで一人暮らし!

 

 

アパートで独り暮らし。(当時のアパートはこの参考写真のような綺麗なものではありません・・)

 

 

その後、その給料を使ってアパートを借りて一人暮らしを始めます。そこは軽量鉄骨の古びたアパート。家賃は2万9千円くらい。部屋はカビ臭く、住人が廊下を歩くと建物中がゆさゆさと揺れるような建物でした。仕事は介護職は自分に向いていないと思い知ったので、製造業に転職しました。

製造業は基本的に物を相手にする仕事。人を相手にする介護職とは段違いに私にとって楽な仕事でした。あまりに辛かった介護職とは次元が違うほど楽でした。製造業の最初の職は自動車部品を作る町工場での仕事でした。やはり月収は手取りで10万程度しかありませんでしたが、当時はリーマンショック直後の不況時代なので、こんな自分に仕事を与えていただけるだけでも感謝しなくてはいけないと思って働いていました。

親からの支援は0円なので、その給料だけで極貧生活をしていました。でも自分の中では引きこもり状態から、ワーキングプア状態だけれども一人で生きていけるようになった事に達成感も感じていました。

 

 

工場で業務をただ黙々と行う毎日

 

 

しかし、それは飽くまで重度引きこもり状態から見るとステップアップしているように見えるだけで、世間一般の平均から見ると下の下の下・・の下のような存在でした。これは決して自分を卑下して言っているわけではなくて、世間の人々は正にそのように見なしています。

それは重度の引きこもり時代からわかっていました。「中卒で時給800円の仕事をしている家賃2万円台のアパートに住むワーキングプア24歳男」に対して平均的な境遇の世間の人々がどう思うだろう?それはネットなどの意見を見れば明らかで、人々は表立って言わないだけ。そんな事は元々わかっていました。

というか、実際に私の場合はハローワークの相談員にそのような事を言われ続けてきました。また、この当時、SNSなどで自分の境遇とこの現状をネットで発信していた時、良く炎上していました。馬鹿な奴隷労働者だとか、低学歴のクズだとか、アホだのバカだの・・・。そんな言葉ばかりが私に飛んできました・・。

 

しかも、普通の社会人達のみならず、一部の引きこもりやニートの方達にまで私は叩かれていました。高学歴や親による潤沢な支援を受けているタイプのニートや引きこもりの方たちから見ると、「低学歴」や「貧乏」や「ブルーカラー労働者」という点においては私のような存在は叩いて見下せる存在なのだと思う。

孤立無援で全方位から誹謗中傷されることで、もともと自分は社会的には完全に死ぬほどダメな人間だと思っていたのに、それを更に何重にも再確認させられました。もちろん職場でも正社員の連中やパートの主婦の人達などにも馬鹿にされ、自分は社会の中のクズの中のクズなんだと何度も再確認させられ何度も何度もそれを思い知らされ続けた期間でした。社会の人々から見ると私は生きているだけで恥ずかしい存在だと思い知りました。そして仕事が忙しい事もありネットで発信する事はやめたのでした。

 

 

世の中的には自分はダメ人間中のダメ人間という事はもう十分自覚しているのに・・

 

 

とはいうものの、親から離れて自分の人生を生きれているという解放感は確かにありました。社会の人々から決して認められる事がなくても個人的な自由を得ました。

 

 

超極貧生活

 

 

当時は超極貧でした。先に言ったように、親からの支援は0円で何もなし。完全に見捨てられていました。他に頼れる人も友人もいません。会社の給料は10万円ちょっと。住居費や生活費のみならず精神科の医療費や保険金や年金やら車の維持費・・・。

ワーキングプア状態でした。節約しても給料日前には預金も手持ちのお金も含めて数10円しかありませんでした。賞味期限切れかけで割引され10円くらいになったパックのうどん等の激安食材を食べて飢えを凌いでいました。しかし、当時はとても無知で世間知らず。生活保護制度を利用する術も知りませんでした。この世界は自分のような人間は働けなくなったら死ぬしかないという厳しい世界なのだと思っていました。

 

 

当時の私の給料日前の全財産はだいたいこれくらい・・

 

 

そんな状態で、食費を節約するために私はある異常な挑戦を行う事になります。これは当時の私が金銭的に困窮しどれほどに追い込まれておかしくなっていたかを示す一つの象徴的なエピソードだと思います。(笑

 

それはドッグフードを主食とする事です。ドッグフードにも高価な商品がありますが、小さな団子状のクッキーのようなタイプのドッグフードは分量がとても多い割に安いです。高コスパです。しかも、CMやネット動画などで見るととてもおいしそうに犬たちがガツガツ食べています。また、犬はこれしか食べなくても大丈夫で、必要な栄養素を全て含む完全食のようです。

 

なので、「ドッグフードってなんてコスパがいい食糧なんだ!」と考え、大きな袋に入ったドッグフードを自分の食糧として購入しました。しかし、食べてみると激マズなのです。見た目はクッキーのようですが、味が酸っぱくて何とも言えない不快な味がしました。2,3粒食べただけでギブアップしました。そして全てを捨てました。もったいない事をしました。

もし、極貧生活中の人でこの私と同じアイデアを思い付いた人がいれば、辞めておいたほうが良いとここで忠告しておきます。(そんな人はまずいないですよね・・)

 

 

圧倒的なコスパを誇る完全食ドッグフード。 不味くて食べられたものではありません。※そもそも、人間用の食糧でないので美味しいか美味しくないかの問題ではないですが。。

 

 

そんな感じの絶望的な極貧生活を送った20代前半でしたが、この頃は、こんな生活は苦しいだけで何の役にも立っていないと思っていました。でも、それが今の自分にとって何らかの糧になっているように思います。

もちろん、それと違う理想的な20代前半があれば更に良かったと思っていますが、あの極貧体験が何かの役に立っているという事は確かにあると思っています。

 

役に立った事の一つ目は、その後、給料の良い仕事にステップアップできた事。それは住み込み型の自動車会社における物流の仕事。激務でしたが、年収は400-500万円でした。寮費がタダで自分は遊ばなかったので、年に200-300万ほどお金が貯まっていきました。

この仕事は何とかして貧困状態から抜け出したいという執念があったので可能な事だったと思います。もし、生活保護を受け、働かなくても十分に食べて行けるという事を知ってしまっていれば、それに満足し、そこから抜け出せなくなっていたかもしれません。

 

 

給与面で待遇の良い仕事に就き、お金を貯めていく事が出来るようになりました。

 

 

二つ目は、あのような地獄のような状況になっても、特に誰に頼らずとも自分は一人で生きていけるという自信がついた事です。なので、また、あのような状態に再び陥っても誰にも頼らずに生きていけると今も思っています。(もちろん、もう二度とあのような状況に陥りたくはないですが・・)

 

いずれにしても、学歴がなく、ワーキングプア状態で親からの支援や行政からの支援もなく、自力で働いて生きていくというのは恐らくそれなりにキツイ事なんだと思います。

しかも、それは誰からも評価されない。むしろ馬鹿にされる事である。奴隷だの馬鹿だの言われ続ける。それも、「普通」の世間の人達からだけではなく、一部のニートや引きこもりや生活保護受給者の方達にまで馬鹿にされてしまうような存在・・「底辺労働者」なのである。

 

でも、そのような一種の「地獄体験」は飽食社会となり「ぬるま湯」となった日本において、得難い貴重な体験なのかもしれない。似たように誰からも助けを得られない状態の極貧生活をしている人々はおそらく今の日本にも少数ながらいると思う。でも、それらは無駄にはならない貴重な体験だと思います。

 

例えば、海の真ん中で船から叩き落とされたとき、自分を誰も助けないならば自力で泳がなければ溺死します。なので死にたくなければ、真剣に「どうすれば助かるか?」とか、「どうすれば体力を温存しながら泳げるか?」など自分の生存のために真剣に考えながら泳ぐと思います。でも、もし助けを呼べば必ず誰かが助けてくれるならば、そのように真剣には考えられないと思います。その場合はただ助けを呼べばいいだけだからです。なので、真剣に自分の生きる術を考える事が目的の場合、誰からも助けられないという状況に置かれる事が一番のサポートになる場合があると思います。ひょっとすると、私はそういう意味では非常に手厚いサポートをされてきたと言えるのかもしれません。生きるか死ぬかの狭間で誰からも助けを得られない状態というのは自分が生存する術を真剣に考える動機を得られる貴重な機会になると思うのです。(本当に死んでしまっては元も子もありませんが)・・とはいうものの、自分がそれによって何か凄い英知を得たなどとは思っていません。ただ、とても弱かった以前より少しは強くなったようには感じています。

 

 

船から海に突き落とされて助けが全く来なければ・・? 自力で何とかするしか!

 

 

(でもせめて、船から叩き落された人については、無視しておいてほしいと思う。豪華な船に乗っている余裕の人々は海に叩き落とされた人々が溺死するのを娯楽として観賞するために、面白がりながら船から棒でつついたり投石をしてくるのである。そういうのはやめて頂きたいと思う。)

 

 

今回は、引きこもりから復帰した直後の「極貧時代」という暗黒の時代を振り返ってつらつらと書いてみました。

 

読んで頂いてありがとうございました!

 

POSTED COMMENT

  1. たんぽぽ より:

    こんにちは、今日用事があり名古屋へ出かけてきました。今家に着いたところです。よく頑張られましたね。そのすべての体験が山添さんの力となって、生きてくるのではないでしょうか。体を使う仕事は、自分に自信がついてきます。働いてちんぎんをえて、生活する。働けたじゃありませんか。立派ですよ。自分をほめてください。何でもできますよ。人の中で働いたじゃありませんか。私も以前に書いたように内向的で人になじめず孤独でした。私のような人間は結婚してはいけないと思っていました。でも何かの間違いか結婚し子供もできました。私に一番似ている息子を見ていると胸が痛むことがあります。でも家族もいるので頑張って働いていてくれてます。感謝しています。これからのあなたはきっと新しい未来が開けてくると思っています。そしてこのような体験をされたあなただからこそできる役目があるのではないでしょうか。私もあなたから励まされている一人です。新しい道を歩まれるあなたに期待しています。私も日々自分の弱さと闘っています。自分を励ます本もいつも読んで自分の思いを変えるように努力しています。本当に正直厄介な性格だなと嫌になることもあります。でもよくこんな性格で生きてこれたなと思うこともあります。大きく周りを見渡すと身勝手な人、図々しい人いっぱいいます。、今はいつもニコニコして近所の人にあいさつをするようにしています。そして気にしないように努力しています。本田信一さんの本を時々読んでます。私とよく似てるんです。いつも笑顔を心がけています。英語はどうやって勉強されたのですか・73歳です。期待しています

    • 山添博之 Hiroshi yamazoe より:

      たんぽぽさんこんにちは。コメントを行って頂いてありがとうございます。

      そうですね。確かに働いた経験が自分の僅かな自信に繋がっていると思います。私はまだまだ弱さのある人間ですが、今後も諦めずにマイペースで進んで行ければなと思っています。
      そして、今後も私の人生体験や想いなどを発信して行きます。幸いにも関心を持って読んで頂いている方がたんぽぽさんを含めて沢山おり、皆さんに励まされています。感謝しています。
      たんぽぽさんも内向的な性格だったんですね。自分も人生を良い方向に変えられるように今後もマイペースに少しづつ進んで行こうと思っています。

      英語は独学です。英語学習のテキストブックを購入して学習したり、ラジオなどの英語の放送を聞いて勉強してきました。
      現在も勉強中です。英語での海外への発信などを行う為に勉強しています。

      本田信一さんですか。私も機会があれば読んでみようと思います。今回はコメントをして頂いてありがとうございました!

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