Spain&Italy 放浪の旅④ Italy編 後編 イタリア人元ひきこもりとの出会い
このスペイン&イタリア旅行記は以下の4つの記事に分かれています。
この記事はイタリア編の後編となります。
① スペイン編 前編
② スペイン編 後編
③ イタリア編 前編
④ イタリア編 後編 (当記事)
この記事がスペイン&イタリア旅行記の最終章となります。
今回は書きたい事が多過ぎ、約1万4千文字の長大記事となってしまいました・・。
レッジョ・エミリア *新たな出会い
私はイタリアの古都レッジョ・エミリア(レッジョ・ネレミリア[Reggio Emilia])に電車で到着しました。
私のYouTubeチャンネルでの英語発信を通じてインターネット上で知り合っていた元引きこもりのイタリア人と出会う為です。
旧市街地の中心部にあるホテルに向かっています
レッジョ・エミリアは移民が人口に占める割合が約16%。イタリアの平均は約8%なので、移民が比較的多い街です。駅前にはアフリカ系、中東系の人々が沢山おり、駅周辺の壁にはカラフルなペイント(上掲の一枚目の写真)が大量に描かれていました。
この街の歴史は非常に古く、紀元前2世紀にマルクス・アエミリウス・レピドゥスというローマ帝国の政治家によって創建されました。なので、約2100年の歴史があります。
旧市街地の中にある年季の入った趣のある安ホテルに到着しました。
このホテルに約1週間滞在しました。このホテルのシャワー&トイレ室はシャワーの周囲に囲いやシャワーカーテンなどが全くなく、シャワーがむき出しのまま設置されていました。換気力が弱く、シャワーの後は部屋もトイレも湿気が充満していました。でも、宿泊費がとても安かったので文句はありません。
元ひきこもり女子大生ニコールとの出会い
そして、初日の夕方に私のYouTube英語発信を通じて知り合っていた引きこもり経験のあるイタリア人の女子大生ニコールとカフェで出会いました。
彼女は学生をしながらインターンシップで公務員をしている人で、英語がとても流暢。大学での成績はトップクラスだそうで、街の歴史やヨーロッパの政治に非常に詳しい人でした。
カフェでプレゼントを交換し、ドリンクを飲んだ後、一緒に夜のレッジョ・エミリアを歩いていました。まるでプロのガイドのように詳細にこの街について説明してくれました。感謝しています。
ニコールとカフェで出会い、夜の旧市街地を歩きました。
ニコールとはWhatsAppを通じて何度もやり取りをしてきました。彼女は元引きこもりであり、幼い頃にある男から虐待を受け、事件の被害者となり、さらに母親や父親からも虐待を受けてきました。(父親は今から約5年前に癌で死亡)
学生時代は周囲の生徒から激しい虐めを受けていました。しかし、彼女はそれでも学校に通い続け、高校からは教師から好かれるようになり、イジメられることが無くなったとの事。多くの精神的な傷、トラウマ、社会恐怖症に苦しめられながらも学業に集中し続けたそうで、試験で非常に良い成績を得て新聞に載った事があるそうです。
そして、彼女は大学に入学しますが、広場恐怖症、過食症、不眠症が悪化し、約1年間引きこもりとなり、その間に自殺未遂もしました。しかし、精神医療のセラピーを受けながら、リカバリーし、今では大学でトップクラスの成績を収めながら、インターンとして公務員として働いてもいます。大変な努力家です。しかし、壮絶な苦しい人生を送ってきたニコールの心の中はマグマのような怒りで一杯になっていると言っていました。
ニコールはとても多才な人で、ウルビノで出会った友人と同じく、芸術の才能もあります。絵がとても上手で、レッジョ・エミリアの夜景や、私の似顔絵を描いてくれており、出会った時にプレゼントしてくれました。
そして、現在(2023年の7月)ニコールは約220ページの長大な論文を書き終え、無事に大学を卒業したそうです。幼少期から痛ましい体験を沢山してきた彼女ですが、今はポジティブなエネルギーに溢れているそうです。彼女はまだ20代。優秀な頭脳を持ち、今は友達にも恵まれ、恋人もおり、良い学歴もあります。彼女の将来のポテンシャルは無限大のように感じます。
しかし、彼女はあまりお金を稼ぐことには興味が無いと言っていました。大学卒業後はどのような道に進むのでしょうか。いずれにしても、現在の彼女は大学を卒業したという満足感で一杯のようで、とても幸せそうです。昨日は卒業した喜びを伝える長文のメッセージを送ってきてくれました。彼女はハードな試練をやり遂げました。私も自分の事のように嬉しいです。
私は彼女の賢さや努力し続ける強さ、世界に対する知識の豊富さ、聡明さに尊敬の念を覚えています。
翌日の朝はレッジョ・エミリアの旧市街地を散歩していました。サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の中を見学しました。
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂に入ってみました。 #レッジョ・エミリア #レッジョ・ネレミリア #reggioemilia pic.twitter.com/0UmIrBvCzt
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 10, 2022
そして、旧市街地に面白い施設を発見。イタリア版の漫画喫茶みたいなものでしょうか?
古代ローマの時代から現代まで脈々と歴史が続く古都レッジョ・エミリア。
「VR BAR」なる不思議な店を発見。アニメ好きのドイツの友達が気に入りそう。😂
博物館を見学した後、カプチーノとお菓子を注文して休憩。大都市以外のイタリアは物価が安く、カプチーノ1杯1.5ユーロ前後で飲めます。😊 pic.twitter.com/EpHZseq2vQ
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 10, 2022
そして、ニコールと共に現代美術館を訪れました。ここで想定外の事態が発生。
現代美術館とレッジョ流ラーメン
私たちは他の通常の美術館と同じく、チケットを購入して自由に展示を見学できるものだと思っていたのですが、このレッジョ・エミリアの現代美術館はガイド(日本で言う学芸員?)の方によるツアーにおいてのみ見学が可能なのでした。
色々とイタリア語でニコールが受付の人と話してくれていると、私たち2人だけの為に、2-3時間かけて無料でこの美術館のツアーを行ってくれる事になりました。ツアーではガイドがそれぞれの展示について英語で詳細に解説してくれました。私は美術が好きなただの素人なのに・・。少し恐縮してしまいました。笑
レッジョエミリアの現代美術館の展示
ツアーが終わったらガイドの方に感謝を告げました。ガイドは笑顔で「解説を提供する事が出来て嬉しい」と言って去っていきました。とてもプロフェッショナルな方でした。今から振り返ると、チップを渡すべきだったのかもしれません。
その後、ラーメン屋を発見。ニコールと入ってみました。しかし、またここで想定外の事態が・・。
昨日の夜はレッジョ・エミリアのラーメン屋でイタリア人の友人と夕食を食べた。餃子もたこ焼きもラーメンも日本のものと全く違っていた。😂
餃子の中身はミンチ肉のみ。たこ焼きの具はエビ。スタンダードな醤油ラーメンは写真の通りベーコンにチャーシューに骨付き肉にササミと肉三昧となっていた。🤣 pic.twitter.com/ueTLq62ELo
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 11, 2022
このようなラーメンと餃子とたこ焼きは初めて食べました・・。ベーコン、巨大チャーシュー、骨付き肉、ささみが入った肉ずくめラーメン、餃子の中身はミンチ肉のみ、たこ焼きの中にはタコではなくエビが入っていました・・。(多分イタリアではタコは入手し難いのかもしれません)
日本では味わえない斬新な食感と味でした。写真のビールは普通のビールでした。
カノッサ城とニコールの恋人の家
翌日はニコールの車に乗せて貰い、「カノッサの恥辱」で有名なカノッサ城の跡地を訪れました。
カノッサ城の跡地 山岳地帯にあります
その後、近くにあるチベット仏教のコミュニティへ。ロシア旅でも訪れたチベット仏教のコミュニティ。
見た目はヨーロッパの小さな集落ですが、チベット仏教のシンボルがあちこちに。残念ながらこの日は売店や寺院や博物館などは閉まっていました。
チベット仏教のコミュニティ
その後、ニコールの恋人の家に夕食に招かれました。
ニコールの恋人は50代のモロッコから来た移民でモーと呼ばれています。ニコールとの年の差は約30歳。ヨーロッパを放浪しながらイタリアのレッジョ・エミリアに辿り着いたそうです。彼はフランス語とアラビア語とイタリア語が出来ますが、英語は出来ないために、ニコールが通訳になってくれました。
彼は修理工やミュージシャンなどの職を転々としてきました。レッジョ・エミリアに来た時はホームレス状態で、ホームレスたちのリーダー的存在だったそうです。修羅場をくぐり抜けてきた人であり、バーで起こった喧嘩を仲裁しようとした時にナイフで刺された事もあります。
ニコールはソーシャルワークのボランティア活動で彼と出会ったそうです。
彼が住んでいたのは移民をサポートする組織が提供しているシェアハウスでした。
ニコールの恋人モーが住んでいる移民・難民の為のシェアハウス
彼はとても温厚な人でした。私が訪れた夕方には彼がモロッコ料理を作り振舞ってくれました。(料理の名前はいつもの通り忘れました・・今後は海外で料理の名前を聞く度にメモっておくべきかもしれません)
非常に美味しくて感動しました。
モーが作ってくれたモロッコ料理の夕食 (名前は忘れましたが美味しかった!)
モーはとても多彩な人です。バンドで民族楽器を弾いたり、車の修理工をやったり、ホームレスたちのリーダーを行っていたり・・料理も上手く、アラビア語、フランス語、イタリア語が出来ます。
彼はとても友好的で優しい人でもありました。彼はイスラム文化圏出身ですが、ニコールが言うには、彼女が以前に付き合っていたイスラム教徒の男性は彼女にヒジャブ(頭を覆うスカーフ)を身に着ける事を強要していたそうです。
しかし、モーはとても寛容な人で、ニコールが自由な格好をし、私のような男の友達と出会う事も喜んで受け入れています。
ちなみに、私の名前Hiroshiをモーにアラビア語で描いて貰いました。アラビア語は独特の美しさがありますね。
アラビア語の「Hiroshi」(彼は「たぶん合ってる」と言っていたので、多少違うかも)
翌朝、再度ニコールの車に乗せて貰い、トッレキアーラ城(Torrechiara[トッレキアラ])に向かいました。
トッレキアーラ城 (Torrechiara)
トッレキアーラ城に到着しました。カノッサ城とは違い、今も原型が残っています。
この城は領主のピエール・マリア2世・デ・ロッシによって15世紀半ばに建てられました。
ここはパルマを一望できる山の上の要塞として活用された事に加え、愛人のビアンカ・ペレグリーニ(彼女は人妻だったらしい)と過ごす不倫関係の場として使われたそうです。
トッレキアーラ城の様子
城の内部には鮮やかなフレスコ画が描かれていました。ニコールによるとこれらフレスコ画は15世紀に描かれた当時のまま残っているそうです。
トッレキアーラ城と内部のフレスコ画
その後、芝生の上でニコールが作ってきてくれたランチを食べました。
サラダ、様々な野菜、ささみ、オリーブ、具沢山で味付けはさっぱりしていて実に美味しく、彼女に作り方を聞きました。そのうち、日本でも作ってみたいと思います。
上流階級家族と精神医療博物館
そして、ニコールの故父の知り合いの家族の家に向かいました。ニコールによるとこの家族の子供たちとは兄弟同然だそうです。
その家の敷地に入り、驚きました。広大な庭があり、何とガレージにはBMWやポルシェなどの高級車が・・そして、豪邸の地下にはディスコがありました・・。ニコールが言うには、この家の旦那さんはとある有名な研究所の所長をされているそうです。
メディア上でしか認知する事がなかった上流階級の人々・・・私はここを訪れ、彼らが実在する事を初めて知りました。笑
家では息子さんとその父と母と祖母が出迎えてくれました。一緒にお茶を飲み色々と話しました。その家の母は英語がとても流暢な人でした。旅の話を色々としていました。
そして、夕方からはレッジョ・エミリアにある精神医療博物館を訪れました。
レッジョ・エミリアの精神医療博物館の展示
イタリアの精神医療は70年代から「脱施設化」が進み、日本よりも遥かにオープンな精神医療が行われています。患者を精神病院で収容や拘束するのではなく(イタリアでは法律により禁止された)、地域で患者たちは支えられているそうです。1998年からはイタリアにおいて全ての精神病院が患者の収容機能を停止したそうです。
この博物館はイタリアにおける精神医療の脱施設化が実施される前の負の遺産が資料として保存されていました。当時は水責めや電気ショックなど非人道的な「治療」も行われていました。
この下の動画は光を使ったユニークな精神療法で、大量の電球が取り付けられた鏡張りの部屋に患者を入れて光を当てるという治療法です。
光を用いたユニークな精神療法
これは現代の光セラピーにも通じる方法かと思います。
その後、ニコールの職場の友人たちと合流し、コンサートを見に行きました。
レッジョ・エミリアの劇場でのコンサート
コンサートの内容は日本では聞いた事のないジャンルの音楽パフォーマンスでした。アーティストの名前も忘れてしまい、何と説明すればいいか良く分かりません。笑
言うなれば、ヨーロッパの楽器と迫力のある中東民族音楽風のボーカルが混ざったジャズセッションのような感じでした。とても独創的な音楽でした。
翌日、レッジョ・エミリアの最終日にはニコールとその恋人モーと共に電車でレッジョ・エミリアの近隣都市パルマを訪れました。
パルマ
レッジョ・エミリア駅から電車で約30分。パルマに到着しました。
パルマもとても古い歴史のある街です。紀元前5600年くらいに人々の定住がはじまり、紀元前1700年~1600年にテラマーレ文明という青銅器の文明が築かれました。
古代はローマ帝国の植民地となり、中世はフランク王国の一部となり、神聖ローマ帝国の一部となり、16世紀半から19世紀まではパルマ公国の首都でした。19世紀にイタリアが統一されてからはイタリア王国の一部となります。
ニコールとモーと一緒にパルマの街の中心地を歩いています
この日は今回の旅においてニコールとモーと一緒に過ごす最後の日でした。
パルマにある博物館や史跡などを色々と巡ってみました。
パルマの大聖堂や博物館や史跡を巡りました
そして、昼食に寿司レストランに入ってみました。モーは寿司を食べるのは初めてと言っていました。
私のお気に入りは左から2番目のプレート。揚げたての天ぷらが巻かれており、サクサクした歯ごたえがあり味もとても美味しかった。アボカドが入った寿司(多分一番左のプレート)も独創的な味だったが美味しかった。
ヨーロッパの寿司は独特 店によって様々だがロール式のものが多い
パルマではニコールに通訳して貰いつつ、モーと沢山の事を話しました。彼は特に私が受けたアヤワスカの儀式の事にとても興味を持っていました。(アヤワスカの儀式体験についてはスペイン編の旅記事に書いています。)
恐らく中東においても、日本と同じくアヤワスカに関する事はあまり知られていないのだと思います。
ストリートパフォーマーを発見しました。
パルマのストリートパフォーマー
そして、電車でレッジョ・エミリアに戻った後、私たちの最後の晩餐である本場のピザを食べました。
日本のピザと違いチーズが水っぽい程にトロトロ もちろん凄く美味しかった・・
ピザを食べた後、ハグを交わし彼らとは別れました。素晴らしい人々との時間でした。特に、モーがシェアハウスで振舞ってくれたモロッコ料理がとても美味しくて印象に残っています。彼らに感謝しています。
モーは私にクールなブレスレットをプレゼントしてくれました。
この日、彼らとは別れましたが、今もメッセンジャーアプリのWhatsAppを通じてやりとりは続いています。
ニコールは現在、姉妹を連れて日本を訪れたいからお金を貯めていると言っています。その時は私が今住んでいる2DKアパートの1部屋を提供する約束をしています。
また、再開できる日をとても楽しみにしています。
その後、私は電車に乗り、ボローニャに向かいました。
ボローニャ
ボローニャに到着しました。ここから、しばらくは一人旅となります。この記事では既に沢山の事を書きすぎたので、一人旅のパートは簡潔に書いていきます。
観光地の説明などは他のサイトに詳しいものが沢山あるので、基本的には省略していきます。
ボローニャでは街の中心部にある小さなホテルに滞在しました。このホテルは空調が効いており快適なホテルでした。
ボローニャは学園都市だそうで、世界中から留学生が滞在しています。ボローニャにはあのダンテが学んだボローニャ大学もあります。
ヨーロッパを旅していていつも思う事ですが、やはり日本とは歴史の濃密さ、重厚さが違いますね。
ボローニャの中心部を巡ってみました。
ボローニャの博物館や史跡などを巡りました
斜塔と言えばピサの斜塔が有名ですが、ボローニャにも斜塔があります。しかも2本。高さ47mのガリゼンダの塔と、高さ97.30mのアジネッリの塔です。1119年にこの二本の斜塔は完成したそうです。
アジネッリの塔の方に登ってみました。
西暦1119年頃に完成したボローニャの斜塔「Torre degli Asinelli」に登ってみました。
内部の滑り易く軋む幅の狭い約500段の木製階段を登り切るのは中々ハードな行程でした。高所恐怖症の人にはオススメできません。😂 pic.twitter.com/13dv6yMh2L
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 15, 2022
1119年に建てられた塔。時代を経ながら改築や補強がなされてきたのだと思いますが、余りにも古い建物。最上階まで登るのは少し怖いものがありました。
アジネッリの塔からの眺め
ボローニャに2,3日滞在後、「水の都」ヴェニスに電車で向かいました。
ヴェニス
水の都ヴェニス(ヴェネツィア)に到着しました。
動画も撮影してみました。
ヴェニスの様子
今まで出会ったイタリア人は皆ヴェニスは特別な場所だと言ってました。
もちろん美しい水上都市である事は映画やドキュメンタリーなどを通じて知っていましたが、実際にこの街に到着し、ヴェニスのユニークさが分かりました。
中心街は直径2-4km程度の島で、その中に建物が高密度に建てられています。建物群の中を細い水路と歩道が迷路のように走っています。そして、この街には走行する車両は見当たらず、歩行者か船しか見当たらないのです。街の景色が感動的に美しく、車両を気にせず自由に歩き回れるのです。
安ホテルにチェックイン後、ヴェニスを歩きました。
ヴェニスを巡っています
ウルビノで出会った友人イレーネはヴェニスでは「わざと迷子になると楽しいよ」と言っていました。迷路のような路地に入っていくとフラクタルのように、運河と年季の入った石造りの歩道や建物などの似た美しい風景が広がっています。何も考えずに歩いているだけで魅了されるような風景を味わえる街です。
展望所、ドゥカーレ宮殿、サン・マルコ寺院に入ってみました。
展望所からはヴェニスが一望できます
ヴェニスに滞在後、電車でミラノへ向かいました。
ミラノ
ミラノに到着しました。本来はこの街に2-3日滞在する予定でしたが、ホテルで一泊するのみとなりました。
何故なら、トリノに住むイタリア人がSNSを通じて連絡をくれて、出会いに行く事になったからです。
ミラノでは街を少し歩いて安ホテルに一泊後したのみです
翌朝、電車でトリノに向かいました。
トリノ *更なる出会い
トリノに到着しました。トリノではYouTube発信を通じて以前からインターネット上でやり取りをしていたイタリア人が今回の旅中にSNSを通じて連絡をくれ、出会う事になっていました。
彼女の名前はルイサ。英国の留学経験があり、英語がとても流暢。
そして、驚いたのはルイサはある界隈で人気の小説家であった事。彼女が出版した小説にはAmazonで大量のレビューが付いており、USA Todayでベストセラーに選出されたこともあるとの事・・・。現在は大学でPh. Dを取得するために勉強をしているそうです。
不思議な事にいわゆる上流階級のような人と良く繋がります。私とは住む世界が違うような人たち。でも、毎回、階級を超えて楽しい時間を過ごしています。
ホテルにチェックイン後、共にトリノの街を歩きました。彼女はとても歴史に関して知識が豊富で英語でトリノの歴史や建物について詳細に説明してくれました。
ルイサと共にトリノの中心部を歩いていました
翌朝は、イランのテヘランから来た留学生とも合流し、一緒にトリノを旅していました。
朝食を食べた後、3人でトリノを巡りました
そして、サヴォイア家が建てたトリノ王宮の内部へ・・・。
トリノ王宮の内部を歩いていました
ヨーロッパの王宮は基本的にどこも凄まじく豪華絢爛です。日本の質素、シンプル、ミニマリストな感性とは全く違います。食卓にはグラスが沢山あります。ワインを複数種類飲み比べながら食事を楽しんでいたのでしょうか。
王宮にある吹き抜けが非常に緻密に造られており、神秘的な幾何学模様が表現されていて印象的でした。
王宮の吹き抜け(丁度、教会の裏側にあります)
その後、3人でトリノの伝統的なお菓子とドリンクを頂きました。
物凄く甘いドリンクとお菓子でした。ヨーロッパのお菓子は基本的に凄く甘いです。砂糖がギッシリ詰まっているような感じです。
ちなみに、このドリンクは3構造で成っており、クリームとココアとコーヒーが3つの層に分かれて入っています。この飲み物もとてつもなく甘かったです。笑
このコーヒーとお菓子を食べながら3人で色々と話をしていました。テヘランから留学してきた学生は政府から支給されるはずのお金がピンハネされている事に困っているようでした。
ルイサは何故か日本のヤクザについて興味を持っていました。私はヤクザについて詳しくないですが、ヤクザに関する一般的な事を色々と伝えました。(刺青の文化、刺青があると公衆浴場に入れない、組織の人は一般的な賃貸物件が借りれない、暴力団対策法が施行されてからは活動が厳しく制限されるようになった・・などなど。)
映画ゴッドファーザーで有名なイタリアンマフィアについてルイサに色々と聞いてみました。イタリアにはシチリアマフィアのみならず様々なマフィアがおり、イタリアの政治に深くかかわっているそうです。現在もその状況は変わらず、イタリアのある有名な映画業界はマフィアによって運営されているそうです。しかし、彼らは多額の寄付を行い、貧困者を救済しており、民衆から支持されている面も少なからずあるそうです。
恐らく、このような反社会組織が持つ二重性は世界中の反社会組織に共通する事なのではないでしょうか。ヤクザが任侠精神を持っている事もそうであるし、南米のマフィアも貧困者たちを支援し、地元民の支持を得ています。中東においてはタリバンのように西側的な価値観の社会に抗うイスラム原理主義組織もそうなのかもしれません。
夕方からは3人で少し街歩きをしました。
カフェを出て3人で街歩きをしていました
街歩きをした後、感謝を告げて2人と別れました。
非常に知識が豊富なルイサからはトリノ歴史や現在のイタリアの情勢についてとても沢山の事を教えて貰いました。しかし、私の脳の限界か、記憶できているのは一部の事だけです。汗
彼女とも今もインターネット上で繋がっており、今度ビデオ通話で英語を教えてあげると言われています。この出会いにも非常に感謝しています。
そして、私は一旦電車でミラノに帰り、ホテルで荷物をピックアップした後、電車でフィレンツェに向かいました。
フィレンツェ
フィレンツェに到着しました。
この街は「芸術の都」「街全体が美術館」などと呼ばれます。大変美しい街でした。
ホテルにチェックイン後、フィレンツェの中心部を歩きました。
大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)周辺を歩いています
フィレンツェも大変古い歴史のある町で、古代にエトルリア人によって街が建設された後、紀元前59年にローマの植民地となります。その後、神聖ローマ帝国に支配され、その後、ルネサンス(ルネッサンス)の中心的な地となり、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活動する地となり、文化、芸術、学問がこの地で大きく発展しました。
街の中心部を色々と歩き、展望所に登ってみました。
フィレンツェ中心部を巡ってみました
ヴェッキオ宮殿に繋がるヴェッキオ橋に来てみました。この橋の両側には金細工や金を使った高級アクセサリーのショップが大量に並んでいます。
街を歩きながら、ウフィツィ美術館、ピッティ宮殿を巡ってみました。
街を歩きつつ、ウフィツィ美術館、ピッティ宮殿を巡ってみました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の内部に入ってみました。地下の納骨堂にも入ってみました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の内部
そして、電車で次の目的地ローマへ向かいました。
ローマ
ローマに到着しました。今回の旅の最終目的地です。
ホテルにチェックインしました。安いホテルでしたが(確か一泊6000円くらい)、ローマの中心部にありながらも空調が効いており、清潔感がある快適な部屋でした。
ローマはご存じの通り、世界帝国である古代ローマ帝国の首都であった場所。ローマ建国神話によると、紀元前753年4月21日にロムルスが弟レムスを殺し、パラティーノの丘という場所を柵で囲い、ローマを建国を宣言した事がローマの始まりだとされています。
ローマ中心部を散策
翌朝は、ローマの中心部を色々と歩き、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(ヴァチカン宮殿に移る前の教皇の住処)、パラィーノの丘(伝説におけるローマ建国の地)、フォロ・ロマーノ(古代ローマ帝国時代の政治や宗教の中心地)を巡りました。
ローマの中心部を散策
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(初代イタリア王国の王と、第一次世界大戦で命を落とした兵士たちの記念碑)を訪れました。この施設の屋上には展望所がありました。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
動画でこの展望所からの眺めを撮影してみました。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の屋上からの眺め
更に街を歩き、トレビの泉を発見しました。
本場のラザニアを食べ、更にローマの中心街を散策してました。4枚目の写真はトレビの泉です。🙂 pic.twitter.com/5Fwh0ttFqQ
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 27, 2022
そして、翌日はコロセウムの内部に入ってみました。
コロセウムと遺跡群など
ベン・ハー、グラディエイター・・数々の名画の舞台となってきた古代ローマ帝国の闘技場コロッセオ(コロシアム、コロセウム)の内部を歩いてみました。
コロセウム 実際にこの場所を歩く事が出来て感動・・
剣闘士の戦闘や野獣と人間との戦闘やキリスト教徒の処刑などなど・・数々の血生臭いショーが行われた場所です。元老院議員や皇帝もこのコロセウムの特等席でショーを楽しんでいました。
コロセウムの内部を動画で撮影してみました。
コロセウム内部の様子
コロセウムの近くにあるパラィーノの丘周辺にある遺跡群を巡ってみました。
パラィーノの丘周辺の遺跡群
パンテオンを訪れました。パンテオンとは神殿であり、古代ギリシア、古代ローマの神々が祭られていた場所です。
パンテオンはローマ帝国のキリスト教化後、キリスト教の聖堂となりました
ところで、ローマを歩いていると、かなりアグレッシブなキャッチセールスが度々観光客に対して声をかけてきます。チケットやお土産などを売りつけようとしてきます。中には悪質な者もいて、油断させスリを働こうとする者もいます。ヨーロッパの他の大都市ではこのような事はあまりなかったのですが・・東南アジアを旅していた頃を思い出しました。
そして、ヴァチカン(バチカン)市国を訪れてみました。
ヴァチカン市国
ローマ教皇が住む「世界で一番小さな国」ヴァチカン(バチカン)市国に入国しました。入国手続きなどは無く、ローマ市から自由に出入り出来ます。
ヴァチカン市国に入国
バチカン市国の大広場であるサンピエトロ広場に到着しました。ローマ教皇のスピーチや様々な式典が行われる場所です。椅子が並べられ、謁見式の準備(多分)が行われていました。
サンピエトロ広場
そして、サン・ピエトロ寺院のドームの屋上に登ってみました。
サン・ピエトロ寺院のドームの屋上
そして、カトリックの総本山「サン・ピエトロ寺院」内部へ・・
バチカン市国にあるカトリック教会の総本山「サン・ピエトロ寺院」の中に入ってみました。
イエス・キリストの直弟子であり、初代教皇のペテロの墓とされる場所に建てられた大聖堂です。
他の大聖堂とはスケールの次元が違います。天井は高過ぎて目が眩みます。きめ細やかな装飾も凄い。。 pic.twitter.com/Hdd5UXr6uz
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) November 29, 2022
イエス・キリストの直弟子であり、初代教皇でもあるペテロの墓とされる場所に建てられたこの大聖堂は他の大聖堂とは次元が違う荘厳さがあります。まずスケールが大きすぎて天井を眺めると目が眩みます・・・。動画でも撮影してみました。
カトリックの総本山サン・ピエトロ寺院
そして、バチカン美術館(ヴァチカン美術館)へ・・
この美術館はローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿の一部であり、歴代ローマ教皇の収集品が展示されていました。
バチカン美術館
数々の壮麗なキリスト教芸術が展示されし圧巻の場所でした。
この美術館の一部として公開されているシスティーナ礼拝堂は撮影禁止でした。
今回の旅の最後にローマやバチカンを訪れる事ができて本当に良かったと思いました。32歳から海外1人旅を開始し、欧州文化圏においてはドイツ、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ロシアの様々な都市に滞在し、街や美術館や大聖堂を散策してきましたが、ここはそれらの一種の集大成のような場所でした。もう思い残す事はないとすら思いました。
翌日も更にローマの街を色々と歩いてみました。
サンタンジェロ城と美術館など
サンタンジェロ城という史跡に入ってみました。
サンタンジェロ城に登ってみました。ローマ帝国の「五賢帝」の一人ハドリアヌス皇帝の霊廟です。
ここの地下にはバチカン市国と繋がる秘密の地下通路があるそうです。 pic.twitter.com/xm3Ketbu1I
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) December 1, 2022
ローマの中心部を通るテベレ川沿いを散歩してみました。
テベレ川沿いを散歩
そして、最後に訪れたのはイタリア国立21世紀美術館。東京オリンピックのスタジアムもデザインしたザハ・ハディドが設計した巨大美術館です。
イタリア国立21世紀美術館に来ています。あのザハ・ハディドが設計した巨大な美術館。内部は複雑な構造になっており、一種の迷宮のよう。🤣
入り組んだ造りの館内を探索しながら世界の著名な芸術家達による現代美術を楽しむことが出来ます。 pic.twitter.com/qcgtNQ5zp2
— 山添博之 (Hiroshi Yamazoe) (@hiroshiyamazoe) December 1, 2022
そして、ローマから東京行の飛行機に乗り、日本に帰国しました。
でも、その前に、事情があり、新型コロナの検査を帰国便に乗る前に受ける事になりました。色々と病院を調べて英語で問い合わせたら、15ユーロで検査して頂いて、検査結果もEメールで送ってくれるクリニックを見つけました。検査結果は陰性でメールのPDFをホテルの人にお願いして印刷して貰いました。
日本人向けのローマにおける新型コロナ検査をサポートするサービスもあるようですが、通訳の付き添いとPCR検査を合わせて160ユーロ(22000円くらい)かかるらしいです・・私は自分で全て行ったので必要なのはたった15ユーロでした。
やはり海外旅において言語やリサーチや予約や移動・・自分で出来るようになった方が圧倒的にお得で自由度が高いですね。
まとめ
このスペイン&イタリア旅は素晴らしい経験となりました。新たに沢山の人々と出会い、新たな友を得て、沢山の素晴らしい場所を巡りました。トラウマを抱えながら自殺願望に囚われて重度のひきこもり状態で過ごしていた10代前半から20代前半の頃の私はこのような体験が出来るとは想像もしていませんでした。
このような体験が出来た事に対し、全てに心から感謝しています。
日本に帰ってきました 約2ヵ月海外にいた為、日本が異国のように感じました 笑
そして、今年の9月20日からは、米国&カナダ旅に出発します。約1か月くらいの旅路となります。その旅におきましても、旅をしながらTwitterで旅の体験を共有したり、YouTubeでライブ配信を行っていくつもりです。帰国後にはまたブログにおいて旅の記事を書く予定です。
それにしましても、今回の記事はとても長くなってしまいました。画像も多いので、環境によっては読み込みに時間がかかったと思います。失礼しました。次回からは、旅記事はもっと記事を分割して書こうと思います。
今回の旅で撮影した写真や動画は以下の動画にまとめてあります。解説などは無いですが、旅の雰囲気が分かるかと思います。訪れた街毎にチャプターを分割してあります。
・スペイン&イタリア旅 動画と写真のまとめ
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
もし、今回のスペイン&イタリア旅の記事のシリーズを楽しんで頂けたならば幸いです。